前口上

 91年に上梓した『書店人のしごと』(三一書房)に、岡名輝夫さん(日野戸田書店店長=当時)が「新文化」1933号に寄せてくださった書評で、次のように書いてくださいました。

 「この本の著者《福島聡》は自分自身にとっても、またそこで働くすべての人々にとっても、(書店を)どうしたら、面白くて、エキサイティングで魅力的な場にすることが出来るか、そのことばかりを考えているのだと言える。」

 これは何よりもうれしい、ありがたい評でありました。以来14年、岡名さんが言い当ててくださったぼくのスタンスに変わりはありません。どうしたら、書店という場を、そこに集う人たちに「快楽」を与える場とすることができるのか、それが永遠のテーマです。
 
 本当に千差万別、多種多様な読者を相手にしなければならない書店の世界に(出版の世界ももちろん)、「ひとり勝ち」はありえません。まずは読んでくださる人たちに楽しんでいただける連載を心がけ、忌憚なきご意見・ご批判をお寄せいただき、多くの方々と建設的な議論をしていきたいと考える所以であります。

2005-03-15 | Permalink

本屋になるということ

 お客様がやって来ると、とたんに表情がこわばる。教えられた手順を何とかやりおおすと、「ありがとうございます!」もそこそこに、カウンター奥へと逃げ帰ってくる。アルバイトなら怒鳴りつけるところだが、相手が子どもだと、きつく叱ることも出来ない。

 「職業体験学習」の中学生を、時折迎え入れている。子どもに教える柄ではないと当初は戸惑い(というより正直に言うと面倒くさく感じ)ながらも、これも将来の顧客をつくる仕事と割り切って引き受けた。ところが、何度かやってみると、これが実に勉強になる。自分のやっている仕事を見つめなおす、いい機会になる。
 自分たちの仕事を子どもたちに分かってもらうための言葉を、つくり出さなければならない。これは、自分たちの仕事を(言葉にすることで)見つめなおす、いい訓練となる。そして思い知る。自分たちのやっている仕事の多くが(ほとんどとは言わない)、子どもでもできることなのだと。そして、その時はじめて、子どもではできない仕事が見えてくる。

 このプロセスは、書店のSA化(ストア・オートメーション化)にとって最も重要なプロセスと似ている。自分が日常的にやっている仕事のどの部分が機械的(すなわち機械の仕事に翻訳可能)で、どの部分がそうでないかを見極めることが、書店現場へのコンピュータ導入の成否を握ると、ぼくは主張してきた。機械化反対派の主張に反して、ぼくたちの仕事の多くの部分は、機械的である。機械化信奉者の主張に反して、それでも機械化できない重要な仕事が残る。書店員の仕事のそうした両側面をしっかりと認識していないSA化(例えば「コンピュータ導入で、熟練の書店員は必要なくなる」といった暴論)は、必ず失敗すると、ぼくは言い切ってきた。

 もちろん子どもたちは機械ではないし、体験してもらったカウンター業務は、コンピュータに替わってやってもらえるものではない。言いたかったのは、コンピュータ導入に当たってプログラムを作成する時にも、子どもたちに仕事を教える時にも、自分たちの仕事を冷静に見つめなおすことが何よりもまず重要であることは共通している、ということである。
 そして、中学生たちがつたないながらも一生懸命接客している姿を見て、それをほほえましく受け入れてくださっているお客様たちの様子を見るとき、ぼくたちの仕事はあくまでもお客様との関係の中で成立しており、最も大事なのはお客様と向き合うときの愚直なまでの真剣さだという当たり前のことを、改めて思い知らされるのだ。

 体験学習のおわりに、中学生たちから必ずされる質問がある。
 「この仕事をするにあたって、何か資格は要りますか?」
ある意味では、この質問ほど、書店員という仕事の特性について答えやすい問いはない。
 「資格は何も要りません。ただし、必要なものはあります。それは、好奇心です。」
 
 毎日200点以上の新刊が出る。何十万アイテムという商品に、ひとつひとつの世界がある。それらが群れをなす書店という樹海に、一人一人異なった背景と目的を持つお客様がやってくる。求められるものは千差万別だ。書店員は、問い合わせに出会うたびに、自分の知らない世界を垣間見る。そうした日常を辛いと思わず、予想も出来ない問い合わせの来襲にひるまず、面白がることができる性格。知らないことを聞かれた時、「自分は何も知らないなあ・・・」と落ち込むこともなく、「何でそんなことまで知ってなきゃならないんだ?」と開き直るでもなく、「また新しいことを知ることができる!」と喜びいさむことのできる心性。書店員でいることを楽しく思えるために不可欠なそれを、ぼくは「好奇心」と表現するのだ。

 「どうして、本屋さんになったのですか?」
お約束のもう一つの質問、前のものよりもさらに具体的に自分自身を見つめなおすことを強いるこの質問には、決まって少しばかりの間を置き、
 「ぼくの場合は特殊だから、あまり参考にはならないだろうけれど・・・」
と語り始める。
 
 この切り出しが、自慢話の始まりとして受け取られることを、ぼくはいつも恐れている。ここで言う「特殊」は、ぼくが何らかの意味で他人より秀でていたなどということは、まったく意味しない。就職にあたって、奇策を用いたわけでもない。ぼくは単に、恐ろしく運がよかっただけなのである。だからぼくの昔話は、就職活動中の大学生にも、将来の職業について考えようとする中学生にも、まったく参考にならない、そのことを言おうとしているのである。
 ぼくは、就職ということに関して、まったく不真面目だった。ひょっとしたら、その不真面目さこそが、ジュンク堂書店への就職を結果したのかもしれない。その逆説を、参考にはできないだろうが、面白がってくれる人はいるかもしれない。だから敢えて、昔話をしようと思う。

2005-04-05 | Permalink | コメント (0)

ケイメイクトウ

 「ある日、近くの書店の人がさえない若者を伴ってやってきた。」
ジュンク堂書店の工藤恭孝社長は、のちにこう述懐している。
 「面接で彼は、自分がいかに優秀で入社のあかつきにはどれだけ役に立てるかを全くアピールしないばかりか、当時アマチュア劇団に所属し演出や役者をしていたので、芝居論をまくし立てるのであった。いずれ何かの役に立つかもしれないと採用を決めた。」

 ぼくが、面接で「芝居論をまくし立て」たのは1981年の年末だった。その年の春に大学を卒業、院入試には失敗して、聴講生としてかろうじて「学生」というアイデンティティを保持していた。だが、生活の中心は「劇団神戸」というアマチュア劇団にあり、2ヶ月に一度の本公演に加えて、研究所の講師・演出なども手がけていた。その上、尊敬する先輩が立ち上げた劇団の旗揚げ公演に参加したりもしていたため、翌年の院入試に受かる目途は、まったく立っていなかった。

 そんなぼくを見かねた座長が、よく劇団神戸の芝居を観に来てくれていた流泉書房の中辻多喜男店長に相談してくれたのである。流泉書房は神戸の三宮センター街の地下にあった書店で、まさにジュンク堂書店の「おとなりさん」であった。

 中辻店長は、「うちは今、人を採用する予定はないが、ジュンク堂さんが来年サンパル店という二軒めの店を出すらしいので紹介してみよう。工藤社長は、若いがとても見識のある人だと思うので」と、出版社の懇親会か何かで一度会っただけの工藤社長に、話を持ちかけてくださったのだ。

 その頃ぼくは、かつて祖父が住職をしていた京都のお寺に住んでいた。大学入学と同時に、気難しい学者でもあった祖父の身の回りの世話を託されて送り込まれたのだが、祖父は2年後に東京の伯父に引き取られ、すでに亡くなっていた。中庭に面した回廊の角に置いてあった電話で、当時の渡辺満店長と面接の日取りを打ち合わせしたときのことを、鮮明に覚えている。
 「面接に着ていくような服は、持っていませんが」
 「そんなことは気にしなくていいから、いらっしゃい。」
 その言葉を素直に受け取り、ぼくはよれよれの
Gパン姿で、ジュンク堂におもむいた。まさに「さえない若者」だったのである。

 「入社の暁にはどれだけ役に立てるかを全くアピールしな」かったのは、もちろん作戦でも何でもない。『面接の達人』もなかった当時、というよりまじめに就職活動をしたことなどないぼくは、何が面接の常識か、まるで知らなかったのである。

 その時ぼくが熱く語れるのは、芝居のことでしかなかった。どんな状況であれ、新しく出会った人にまず語ることが、掛け値なく好きで、自らの生の大部分を傾けている演劇活動であることに、何の迷いもなかった。学歴は、何の意味もなかった。

 そんなぼくを、工藤社長は、「いずれ何かの役に立つかもしれないと採用を決めた」のである。文字通り、「鶏鳴狗盗」の故事のようであった。

 前回、「ぼくは単に、恐ろしく運がよかっただけ」で参考にしてもらえる昔話ではないと書いたのは、そんな経緯のことである。ただ、その話題が就職面接にふさわしいものであったかどうかはともかく、ぼくは自分のことばで真摯に語った。芝居に対する情熱については、偽る必要も、飾る必要もまったくなかった。それが良かったのかもしれない、といま逆の立場で新卒採用の面接の場に立ち会いながら、思う。

 あと知恵以外のなにものでもないが、だからこそ、「文化不毛の地=神戸」というドクサ(思い込み)にあらがうべく演劇活動を続けていたぼくの心根と、「神戸で大型書店など成り立たない」というドクサに疑問の眼を向けた工藤社長の心根が、どこかで共振したのかもしれないと感じるからだ。

 もちろん、芝居に打ち込んでいるときに、これが将来就職の役に立つかもしれない、などと考えたことは一度もない。面接の場でも、演劇活動の経験が仕事に役に立つなどということをアピールしたわけでは、まったくない。

 ただ、今たったひとつ言えることは、何かに真剣に取り組み、一所懸命努力したことは、いつか思いもよらない形で役に立つかもしれない、ということだ。観客であった書店の店長に紹介されて就職したという偶然もそうであるならば、やがて『劇場としての書店』という書物を上梓するに至るまで、書店業と演劇の共通項を見出していったことも、そうだ。

 だから、「本屋という快楽」というタイトルから今はすこしそれることを自覚しながら、当時の「芝居という快楽」について、もう少し書こうと思う。

2005-05-05 | Permalink | コメント (0)

芝居という快楽

 「東京なんかへ行く必要はない。」
 池袋で働いている今となっては皮肉な話だが、この強弁こそ、演劇においても、書店業においても、ぼくの最大のモチベーションであった。

 中学、高校と演劇部に所属し、高校1年生の終わり頃から劇団神戸に参加していたぼくは、「芝居という快楽」に飽くことなくはまり込んでいた。
 それでギャラがもらえるわけではない、全国的に有名になれるわけでもない。けれど、表現方法としては不自由なまでにリアルである芝居という形式には、現前という、そこに目の前に「ある」という特権がある。それは圧倒的なもので、文化祭や、地方の劇場での公演も、そこに訪れてくれた観客とのつながりはリアルであり、出来不出来への反応は、じかに、即座に、その場でなされる。そこに「芝居という快楽」はあり、その「快楽」に地方と東京という差はないのではないか、という思いは、公演を重ねるごとに強くなっていった。

 それは、書店という劇場においても同じだと、今でも思っている。そこに読者がいる限り、書店という空間の存在感は、地方も東京も変わらないと思う。

 大学3年の秋、エキストラ(エンディング・クレジットやパンフレットには騎馬武者という役名で一応、名前は出てくる)として参加した黒澤明監督「影武者」北海道ロケでの経験も、大いに影響した。俳優として参加している人たちの話を聞いていても、実際に生活の糧を得ているのは、芝居とは無関係なアルバイトである。また芝居と関係のある「仕事」によって報酬を得た場合でも、それはもともとやりたい芝居とは違う場合が多い。ならば、関西にいることでそんな「仕事」には恵まれなくても、芝居とは離れた仕事で生活を営みながら、自分がほんとうにしたい芝居で「快楽」を味わうことができるなら、その「快楽」は同じではないか、と思った。

 こうした達観は、地方で演劇活動をしている者に一般的であるわけではない。多くは、「いずれ東京に出て一旗を!」という思いを胸に秘めている。
 一緒に劇団活動をしていた高校演劇時代以来のライバルは、仲代達也率いる劇団「無名塾」のオーディションでいいところまで行った。最終的に選考にもれた彼は、結局劇団には戻ってこなかった。その時点で演劇活動もやめた。リクルートに就職し、その後自分で広告代理店の会社を興したという。
 数年前、久しぶりに彼に会い、酒を飲み交わしたとき、彼が自分の会社で高校の演劇部の後輩を雇っていることを知った。そして、いくらか酒が回ってきた後、彼はこう語った。
 「会社で儲けて、いずれは神戸で劇場を持つのが夢なんや!」
 ふり返ればたどった道は違うけれど、思いはどこか共通していたのだ、と感じた。

 一方ぼくは「影武者」経験によって、「芝居という快楽」は、俳優や演出家を職業として生活に必要な報酬を得ることとは、独立してあるのではないか、思い始めていた。だから、劇団活動をしながらジュンク堂書店に就職するということに、何の逡巡もなかった。

 それは、「マーケティング」でもあった。ここでいう「マーケティング」には二重の意味がある。「市場調査」と「市場づくり」である。どちらも、何年も続けてきた演劇活動の「閉鎖性」への危惧が関係する。

  ひたすら劇団活動に邁進する生活の中で、どこか社会やそこに生きる人びとから、離れていってしまっているのではないか。ぼくらの演劇活動は決して啓蒙でもプロパガンダでもないが、いやそうでないからこそ、社会的関心からのズレは、致命的になるのではないか。
 その意味で、書店という就職先は理想的であった。毎日刊行され、売れていく本を目の当たりにすることによって、さまざまな社会的関心に接することができる。それをいくらかでも芝居に反映させることができたら、と思った。それが「市場調査」である。

 公演を支えるチケットの販売も、自閉していた。家族や友人、そして他の劇団の人に限られ、義理にすがる部分も多く、また自腹を切って招待する場合も多かった。ジリ貧を感じていた。
 まったく別の世界に就職することは、そんな閉鎖性を突破することにもつながった。社内の仲間や業界の人たち(例えば出版社の営業の人たち)にチケットを売って観に来てもらうことができたからだ。「市場づくり」である。

 もちろん最初は義理だったかもしれない。それでも、観に来てもらった芝居が面白ければ、次からは義理ではなく喜んでチケットを買ってもらえる。そのことは、「芝居という快楽」を明らかに増進した。演劇業界での『株の持ち合い』ではないそうした状況は、モチベーションを高めた。だから、職場の仲間の協力を得ながら何とか時間をやりくりした就職後の方が、充実した演劇活動をできた気がする。招待券を渡したジュンク堂書店の工藤社長も、奥様を連れて何度も劇場に足を運んでくれた。

 周りの人たちの理解に支えられて、その人たちの期待に応えたいという思いが、「二足の草鞋」を可能にしてくれた。というより、それがぼくにとって当たり前の生活だったのだ。

2005-06-05 | Permalink | コメント (0)

本屋の条件、役者の条件

 ジュンク堂書店での勤務と劇団神戸での演劇活動。「その『二足の草鞋』がぼくにとって当たり前の生活だった」という状況が可能だったことには、理由がある。

 ひとつは、書店の定休日が少ないこと。最初に勤務した神戸のサンパル店でも、定休日は月2回。あとの公休日は、他の社員と調整し合って決める。だから、まわりの理解さえ得られれば、公演に合わせて休みを取ることができた。休日は土日と確定しているふつうのサラリーマンよりも、むしろやりやすかったといえる。

 就職したころの劇団神戸の本公演は、ほぼ2ヵ月に一度の「コメディ・ド・フウゲツ」。ゴーフルの風月堂の地下のホールに200名弱を収容できるコの字型の客席を組み、喜劇を中心に上演していた。火曜もしくは水曜から日曜までの公演だったが、初日前日と初日、マチネー(昼間の公演)のある土日は休みを取り、あとは定時の5時半に上がって駆けつけた。おかげで、メイクアップは誰よりも速くなった。

 公演期間でなくても大道具の製作などで休みはほとんどつぶれたが、意外に負担ではなかった。若かったというのもあるだろうが、『二足の草鞋』が精神衛生上とてもよかったからだと思う。書店の仕事で失敗したり嫌なことがあっても、稽古場へ向う道で、そんなことは忘れてしまう。逆に芝居で壁にぶつかった時でも、書店で仕事している間は、あれこれ思い悩む暇がない。それぞれ別の「役」を演じる二重生活のスイッチの切り換えがスムーズに行えるようになり、それにからだが慣れてしまえば、しんどさなどまるで感じなくなっていった。

 精神衛生上のメリットは、演劇に限らず、さまざまな趣味が共有するものだろう。思えば同じころ、ほぼ同期であった現新宿店店長は、交響楽団でヴァイオリンを弾いていた。

 一方、『二足の草鞋』生活は、書店の仕事と演劇活動のつながりももたらした。

 ある時、稽古帰りの三宮駅で、高校の演劇部の後輩に出会った。「もしよかったらアルバイトで来ないか?」気軽に声をかけると、二つ返事でOKした。大学卒業後彼女は社員となり、今も三宮店の副店長をしながら、演劇活動を続けている。

 劇団の研究生にも、よく声をかけた。地方で演劇活動を志す若者たちの経済状態は、たいていは就職前のぼくと同じである。芝居で稼げるあてがほとんどないのだから、生活のためには他に仕事を得なければならない。そこの部分が安定してこそ、芝居も続けていける。

 ただし、研究生たちのアルバイト採用は、単なる「救世軍」であったわけではない。書店員と役者の適性に共通するところが多いことを、確かに感じ取っていたからだ。

 はっきりと大きな声でものが言えること。決められたセリフを言えること。そして相手の目を見て話すことができること。――それが今でもアルバイトの採用不採用の決め手である。

 それは一見、簡単なことのように思える。しかし、その簡単なことを就業時間中手を抜かずに愚直に繰り返すことは、意外にむずかしい。役者の訓練の目的も、実はそこにある。短時間、何かになりきることはそんなにむずかしいことではない。駆け出しの若手芸人が容易におもしろいコントをつくることができるのは、そのためだ。むずかしいのは、担った役割を持続的に表現し続けることなのだ。

 もうひとつ重要なのは、その役割を演じるにあたって携えなければならない柔軟性である。演劇は共演者があってこそ成り立つ。共演者の反応が、一回一回の舞台で微妙に違っていることにこそ、その醍醐味がある。観客もそうだ。同じように演じていても、観客の反応は毎日違う。

 書店においても、共演者であり観客であるお客様ひとりひとりは、まったく多様である。書店員の役割とは、そうした多様なお客様ひとりひとりとの、一回ごとに異なる関係を成り立たせることだから、自分の思い込みだけで演じていては役割を遂行したことにはならない。

 相手の言葉をよく聞くこと、そしてそのことを相手に伝えられること。そのためには相手の目をしっかり見て聞き、時に応じて反芻できること、その間合いを外さないこと。話が膠着しそうな時に、新たな方向を示すことができること。こちらの状況を正確に説明できること。いかなる結果に終わっても相手を不快にさせないこと、必要な時に相応しい笑顔をつくれること。

 愚直さと柔軟性、ぼくは演出家として役者たちにそれを、そしてそれだけを要求していたし、そのことは書店のスタッフに対しても同じだった。結果的に芝居仲間や演劇経験者を多く書店という職場に招き入れたのは、おそらくそのせいなのだ。

 やればできることについて、徹頭徹尾手を抜かないこと、それをぼくはプロ意識と呼ぶ。

2005-07-05 | Permalink | コメント (1)

本屋脇役論

 まぁ、失敗例も数々ある。劇団員や研究生を書店のアルバイトに迎え入れて、いつもうまくいったわけではない。

 毎日遅刻してくる男がいた。「お前、朝起きられへんのか?」と聞くと、そうではないと言う。「ちゃんと仕事に充分間に合うように起きてるんですけど、そのままいつも一時間ぐらいボーっとしないと家を出られないんです。」
 棚に並んでいる文庫本のオビを順番にすべて外していった女の子もいた。訳を尋ねると、「無い方がきれいだから。」と答えた。
  劇団内での男女関係のもつれが原因で、失踪してしまったアルバイトもいた。しばらく行方知れずで、ご両親と共に大いに心配したが、約一週間後、ようやく電話連絡があった。「心配かけて、ごめんなさい。今、福岡のSさん(研究所時代の同期生)の家にいます。」

 ゴーイング・マイ・ウェイ、他人と違った感性、感情の解放、それぞれいい役者の条件ではある。しかしそれらは、いい書店員の条件ではないだろう。書店員の仕事は、少しばかり役者よりは地味なのだ。

 実は、芝居をしたい人即書店接客に向いている人とは言えない。芝居をある種の代償行為として選んでいる人たち、舞台を離れては全く表現力を発揮できない人たちが、確かにいる。舞台上以外の場所では全く自閉的で非社交的な彼らは、舞台に立てば信じられないくらいはじける。むしろ、そうした人ほど、演劇性に勝っており、舞台上での表現力も爆発的になる。ただ、そうした人は、接客には決して向かない。
 書店員には、主役クラスの役者より脇役の方が向いている、とは言えそうだ。書店店頭においては、主役はあくまで客、少なくとも客にそう思わせる共演者でなければよろしくないからである。根っからのスターで、舞台は自分に光が当たるためにある、共演者は自分が目立つためにいる、というような役者は困り者である。

 考えてみれば、芝居の世界でも、大スターを除けば主役を張る役者よりも脇役のできる役者の方が息が長い。主役よりも脇役の需要の方が多いということもあるだろうが、脇役の方にいわゆる「芝居を知っている」役者が多いということもいえるような気がする。

 観客、共演者との「間」の取り方、「いき」の合わせ方、それらをコツコツと体得していくのは、むしろ脇役たちだと思うからだ。そしてその「間」の取り方と「いき」の合わせ方を「からだで知っている」ことが、「いい接客」の絶対条件でもある。
 書店において、主役はお客様である。お客様という主役には、さまざまなタイプがある。その都度、しかるべき「間」の取り方と「いき」の合わせ方は、違ったものになる。それを瞬時に判断できるのがいい書店員(=脇役)なのである。

 伊丹十三監督の「たんぽぽ」に、こんなシーンがある。山崎努が宮本信子を連れ出したある店先で、ラーメン屋の心得としてこう諭す。「ここの親父は、客がはいってくるたびに必ずさり気なくその客の方を見る。チラッと見ただけで観察しちまうんだ。この客は急いでいるのか。ゆっくり食事を楽しみたいのか。とにかく腹が減っているのか。」

 書店員にも必要な「わざ」である。手あかのひとつも気になる人、ボロボロの本でも一向構わないという人、初版本でないと気がすまない人、書店員は何でも知っていると思い込んでいる人、書店員は何も知らないということをわきまえている人……。書店を訪れる客の志向の多様さは、ラーメン屋の比ではない。

 容姿に自信のないぼくはもともと脇役の役者と自らを定めていたが、芝居に関わる年月を重ねるうちに「主役をやらせろ」とうるさい役者になっていた。それが、書店への就職後、ふたたび脇役にやりがいを感じ始めていた。出番の少ない、それも遅い役の方が仕事と両立しやすかったという理由ももちろん大きい。クリスティの「蜘蛛の巣」の検死医役など、会社の昼休みを利用して出演した。あるいは、ロベール・トマの「泥棒家族」で最終幕に登場する刑事役。快刀乱麻を断つ探偵役でこそないが、事件の経緯を改めて客席に伝える役回りだ。「台本」(ほん)の骨子を概説する役回りは、「書籍」(ほん)を紹介し、推奨する書店員の役回りとダブる。いわば、野球におけるストッパー役に目覚めていったのだが、その極めつけは、泉鏡花「天守物語」の小田原修理役であろう。ラスト近くに登場し、妖怪たちが跋扈する姫路城天守でいきなり暴れだした獅子頭の由縁を、文庫本約一ページの長台詞で朗々と語るこの役に、ぼくは正直酔っていた。
 リハーサルのあと、演出を担当する座長からダメ出しを受けた。
 「余りに気持ちよさそうに芝居し過ぎだ。」
 実はその気持ちよさを、誰よりもよく分かっていたからだろう。座長は苦笑いをしていた。

2005-08-05 | Permalink | コメント (0)

神戸から京都へ

 演出家としての仕事も、就職後に充実してきた。研究所の中間発表や卒業公演の演出はほとんど任されるようになり、若い人たちを使ったそれらの公演では、自由な発想で演出の仕事を楽しめるようになった。研究所の演出でのそうした経験は、書店での仕事にも後々大いに生きてくる。

 演出を担当したときには、主役を任されたとき以上に稽古を休めない。演出家が現れないと稽古が始まらないからだ。演出の仕事を何とか全うできたのは、社員の個性、プライベートでの活動を尊重するジュンク堂書店の社風と、職場の仲間の協力があったからだと、当時を振り返る今、感謝の気持ちを新たにしている。ジュンク堂書店と劇団神戸の『二足の草鞋』は、ぼくの中でとてもうまく軌道に乗っていたと思う。

 二つの焦点を持つ楕円軌道に影が差してきたのは、1987年。劇団代表とは、以前から劇団運営方針、やりたい芝居の志向などについて少なからぬズレがあった。さまざまな志向を持つ劇団員が、そろそろ一枚岩ではなくなってきた、とも感じてきた。10年以上に渡る劇団活動にマンネリ感を覚えていたことも事実だった。

 それが、ぼくが焦点を書店業に絞った分岐点だった、と言えれば、話としてはすっきりする。しかし、事実はもう少し複雑だ。

 ぼくが入社とほぼ同時に着任したジュンク堂書店の二号店「サンパル店」は、「革命的」な店だった。背の高い書棚の林立する売場のほとんどを専門書が占めていて、文庫・新書は奥に押し込められ、雑誌もカウンター周りのみ。壁面の棚は製造業者に必須のJIS規格や、建築申請に不可欠な神戸市都市整備公社の白地図で埋められ、新刊や話題書を平積みするスペースもなかった。売れ行き良好書は一号店であるセンター街店(現三宮店)に任せるという戦略は、業界内外から「いくらなんでも無茶だ、すぐにつぶれるだろう」と言われた。

 確かに、当初の売り上げは、惨憺たるものだった。しかし社長以下、神戸にも専門書を必要とする幅広い読者層があるはずだとの信念のもと、予想以上に早く黒字転換できた。
 お客様や取次、出版社の人たちの話に素直に耳を傾け、コツコツと本の並びを整備する。顧客リストをつくって新企画のパンフレットなどを積極的にお送りし、定期購読に結び付ける。毎月の配達のため荷台に雑誌の束をくくりつけて、自転車で神戸の坂を駆け上ったりもした。若いスタッフたちによる様々な試行錯誤は、その後のジュンク堂書店の路線の原型になったと思う。そんな地道な努力の結果、「こんなユニークな書店をつぶしてはならぬ」と神戸の愛書家に「買い支え」られ、開店6年目の1987年には安定期に入っていた。

 だが、それゆえに、ぼくは不満だった。安定期には、どうしても保守化する。「いくらなんでも無茶だ」と言われた頃、それを何とか跳ね返そうとしていたチャレンジ精神が失われる。若かったぼくには、ある種の停滞感が、どうにも我慢ならなかったのだ。

 いわば、演劇活動と書店業を車の両輪として突っ走ってきたぼくにとって、片方の車輪が減速してきた時に、もう一方も減速していた、という状況だったのである。それをまとめて救ったのが、ジュンク堂書店の京都への出店であった。

 1988年夏の出店に向けて、当時すでに準備が進んでいた。転勤予定者も早々と決まっていたのだが、ぼくにはまったく打診がなかった。当初はぼくも、サンパル店に残って神戸の地盤を固めることに意欲を感じていたし、劇団活動を考えてもそれが自明の選択に思えた。

 しかし、両輪の減速を実感し始めたとき、京都行きが一つの突破口かもしれない、との思いも芽生えた。京大、同志社、立命館をはじめ、多くの大学が密集する学問の府。そこには意欲ある学生、学者が神戸以上に集まってきているだろう。人文書担当者として、京都という市場は魅力的だ。そして出店が予定されている四条河原町界隈には、駸々堂、丸善をはじめ力のある書店が目白押しだし、京都駅の南には少し前にアバンティ・ブックセンターが出来ていた。ライバルには事欠かない。血が騒いだ。

 飲み会の帰り道に、上司にこう言った。
 「もしも劇団活動を理由にぼくに京都行きの打診がないのでしたら、その前提はもう外していただいて結構です。」
 翌日、京都転勤が内定した。

 神戸ではまずまず安定した地位を築いていたジュンク堂の初めての県外出店。しかも書店激戦地京都への進出。積極的な全国展開は95年の震災を契機とするが、チャレンジ精神は、すでにこの時に萌芽を見る。考えてみれば、地方劇団にも、対外試合の発想は余りない。両輪の減速を感じていたぼくが、新たな「いくさ」に血をたぎらせたのも、必然だったのかもしれない。

2005-09-05 | Permalink | コメント (1)

京都、書店熱

 ジュンク堂書店京都店は、四条烏丸東、河原町通との真ん中あたりにある。そこは、京都の碁盤の目のちょうど中心部に位置する、銀行が林立するビジネス街である。そこから、四条大橋を渡って四条通の「どんつき」にある八坂神社まで、歩いて20分程度の距離である。その程度の距離を歩くだけで街のたたずまいが変わるその「小ささ」こそ、「巨大」な都市東京に今あって改めて感じる京都の魅力である。四条河原町界隈で飲みながら夜通し議論しても、歩いて下宿に帰れる程度の距離であったことが「京都学派」を生んだ、と何かで読んだ。滋賀県や研究学園都市に大学キャンパスがどんどん移って行ったころ、「学生さんがいはらへんようになったら、京都はアカンようになる。」ということばをよく聞いた。学問・芸術を愛する研究者、芸術家、学生の「濃度」がどこよりも高い街、それが京都なのだ。
 だからこそ、「京都で専門書を売ってみたい。」と、ぼくは思った。

 ある時、京都店の人文書売場で、
「哲学の授業の課題で『他者』について、レポートを書かなければいけないんですが、何か参考になる本はありませんか?」
と学生らしき若い男性が聞いてきた。その尋ね方自体、ちゃんと授業に出ていない証拠だなと思いながらぼくは言った。
「それは、その課題を出された先生が何を研究されているかによりますね。『ドイツ観念論』なのか、『実存哲学』なのか、『分析哲学』なのか、『ポスト・モダン』なのか、それによって、答えはまったく違ってきます。」
「○○先生なんですが・・・」
すると、通りかかった別の学生さんが話に割り込んできた。
「○○先生だったら、専門はヘーゲルですよ。」
気が付くとふたりは、ぼくを完全に「蚊帳の外」に、話し込んでいた。

 京都店は、こんな風景が日常的である、そんな場所でありたいと思ったし、京都の書店はいまでもそうあってほしい、と思う。だから人文書担当者としての理想は、たとえば哲学科の新入生が教官に「何を勉強したらいいか、迷っていて。」と相談したときに、「じゃあ、ジュンク堂の京都店に行ってみたまえ。そこに並んでいる本の中に、何か君の興味をそそるものがあるに違いないから。」と言ってもらえる店づくりだったのだ。

 そのための書棚づくりは、サンパル時代同様オーソドックスなものだったが、エスカレータのそばに与えられた大きなフェア台(サンパル店にはなかった)を、ぼくは目一杯利用した。人文書の話題の企画を中心に据えて、精力的にフェアを打った。

 京都で出会った書店仲間には、ぼくと同じような志を持つ人が何人もいた。1994年、京都遷都1200年を迎えた時、そんな仲間たちの間で、連動してブックフェアをしようというプランが自然に持ち上がった。京都の書店を巡れば、どこでも遷都1200年を祝っている、そんな状況を盛り上げようと、会社の枠を越えて有志が集まった。ブックフェアにとってもっとも大事なのは選書である。さまざまな観点から京都を見つめる本のリスト、この機会にそれをつくろうという話になった。

 本をつくるとなると、ぼくら素人にも欲が出てきて、単なる書誌データの集積だけでは飽き足らなくなる。何人もの先生方の好意に甘えて寄稿いただいたり、対談やインタビュー記事も載せた。ぼくじしんは、母校の先生とはいえ、それまでまったく面識のなかった足利健亮教授の研究室に押しかけていった。何とか出来上がった『ブックリスト「京都」』は、地方・小出版流通センター扱いで、全国で販売された。その巻頭で、ぼくはこの本が成立した経緯に触れ、「京都という町全体が、本を売る、読者に手渡して読んでもらうということを大事にしているからだと信じます。」と書いた。

 書店員であるぼくらは、あくまで「門前の小僧」である。しかし、「門前の小僧」は「経を覚える」。書店という空間は、ぼくにとって魅惑的、というより誘惑的だったのだ。気がつくと、書店に就職してから、大学時代よりもずっと多くの哲学書を読んでいた。

 早い頃から、ぼくは新入社員に対して、同じアドバイスを繰り返した。「もうたくさんだ、と思っているならともかく、もしそうでなければ、学生時代に力を入れていた勉強や活動、それを続けて欲しい、少なくとも、就職したことを理由に、好きなことを放棄して欲しくない。書店という職場は、武芸百般、何に通じていても、いつか役に立つから。裏返して言えば、好きなことを放棄してまで勤めるべき職場ではない。」この気持ちに、今も変わりはない。
 だからこそ、新入社員面接の場で、ぼくは執拗に尋ね続ける。「勉強でもいい、部活動でもいい、学生時代に、これだけは真剣にやった、そのことについては自信を持って言えるということは、何ですか?」と。

 京都店に移ってからも、後輩の芝居を観によく神戸に帰った。観劇後、打ち上げの場に混じって、演劇論を戦わせた。劇団を去った後も、芝居に対する情熱は冷めていなかったから、それは熱のこもった議論だった。
 翌日京都の職場に帰ったら、きっと演劇から離れた脱力感に見舞われるだろうな、と思った。ところが、芝居を見に行った次の日、レジを打ち、本を売りながら、自分がまったく脱力感を覚えていないことに気付いた。「本屋の快楽」をほんとうに自覚し始めたのは、その時だったかもしれない。

2005-10-05 | Permalink | コメント (0)

読者という他者

 9月22日(木)、神戸大学附属図書館プレゼンテーションホールで開催された兵庫県大学図書館協議会研究会に、発表者の一人として参加した。テーマは、「資料・情報を読者へ―書店から学ぶこと」。そのレジュメの第一項に、ぼくは『「読者」という「他者」』と書いた。「読者」とは「他者」であるということが、書店、図書館の仕事にとって、最初に必要な認識であり、かつ経験を積めば積むほど、思い知らされる現実であるからだ。

 無論、「他者」とは即「敵」ではない。書店にも図書館にも、本を愛する人びとが集まってくる。さしあたり、そのことは信じてもいい。ただし、森羅万象すべてを扱いうる商品である本への志向、嗜好、愛し方は、千差万別である。ややもすると同じ言葉を話し、同じ感性を持っていると思いがちな「読者」が、実際には「異言を語る人」である場が、書店であり、図書館なのだ。そのことをぼくは、『「読者」という「他者」』と表現した。

 「子どもの頃から、本が好きだったんです。」
 新入社員採用面接で、半分以上の人はこう言う。面接官であるぼくらは、苦笑を噛み殺す。〔そんなことは分かっている、でなければ、書店に就職活動に来るはずがないじゃないか。〕

 「他人を幸せにすることが好きなんです。書店で本を紹介することによって、そういう仕事をしたいんです。」
 そう語る人も多い。繰り返し聞かされるそうした言葉に、ぼくらは苦笑を噛み殺しきれてはいないかもしれない。〔「他人を幸せにすること」は、たいていの人は好きだ。但しそれが容易なのは、幸せにしたい相手と同じ思いを持っているときに限る。〕

 あらかじめ押さえておきたいのは、その二つの思いが非常に大切であるということである。それらの思いを仕事に反映するのがいかに困難であろうと、書店員はその気持ちを決して忘れてはいけない。忘れてしまっては、書店での仕事はただの苦行になる。その先に「本屋の快楽」はない。書店員にとってはもちろんのこと、書店に訪れる読者にとっても。

 だが、実際に書店の店頭に立って仕事をはじめると、そうした思いは「忙殺」される。自分が好きな本を求めて訪れるお客様は、ほんの一部にしか過ぎないし、そうしたお客様と好きな本について語り合う暇などない。そもそもそんな時間を持つことは、書店員の仕事には含まれていない。大半のお客様からの問い合わせは、聞いたことのないタイトル、まったく知らない著者、意味不明の単語で満ち溢れている。書店員たちは、まず、「読者」を「他者」だと実感する。

 訪れるお客様のすべてを「幸せ」にしたい、という気持ちに決して嘘はない。しかし、それを実現するのは容易ではない。誠心誠意尽くしているつもりの行動が、知識や感応力、問題解決力の不足によって、お客様からすればおよそ満足のいくものではない、とても「幸せ」な気持ちにはなれない、という結果に終わることがほとんどだ。書店員側から言えばどうすれば喜んでいただけるかもわからない、そんな状況で、「読者」は間違いなく「他者」である。

 そんなことが続くと、当初強く持っていた二つの思いは、萎えていく。自分たちの本に対する思い、接客に対する思いなど実は書店現場においてはほとんど無意味なのではないか、そんな思いにかられてくる。

 しかし、人間の欲望とは「他者」の欲望だ。食欲に代表される「欲求」は必要なものの欠如に起因するが、たとえば「欲望」の代表格である「恋愛」は、まさに「他者」(恋愛相手)が自らを欲する「欲望」を持つことを「欲望」する。さまざまなブランド品を欲するのも、あらかじめ「他者」がそれを「欲望」しているからである。だから、「他者」に出会えば出会うほど、書店員の欲望はいや増す筈だ。未知の領域へと自らを駆り立てるモチベーションが高まる。

 むしろ、皮肉なことだが、ある程度経験を積むことがモチベーションを低下させることになる。ある程度の商品知識がつけば、問い合わせに応じて本を探すことは苦ではなくなる。自店での売れ方のパターンに通じてくれば、新刊注文や追加発注に思い悩むことも少なくなってくる。いわば自分が勤める書店の場に馴染み溶け込んでいるわけだが、書店員としての危機は、そこにある。最大の危機は、「読者」が「他者」であることを忘れてしまうことなのだ。

 だから、新入社員採用面接でぼくらが噛み殺す苦笑いに、嘲りや見下しの気持ちは、まったく含まれていない。含まれていてはならない。書店志望の若い人たちと相対することは、ぼくらにとって何にも勝る滋養だからである。熱き思いをまだ忘れずに、未知の現場に挑もうとしている新人たちと共に働くということもそうだ。そのことを指して、ぼくは常々「ぼくらは若い人たちの血を吸って生きている」と言う。

2005-11-05 | Permalink | コメント (1)

新人書店員の通過儀礼

 「どうして、先輩たちは気が狂わないのだろう?」
 最初に勤めたサンパル店の、「図書館のようだ」と評された高い書棚を見上げながら、大まじめにそう思ったことがあった。並んでいる一冊一冊の本は、著者がそれぞれの人生をかけて、いわば「命を削って」書き上げたものであるかもしれない。それらを売ることを生業としているものとして、できることならそのすべてを読んでみたい。そんな衝動に襲われたことはなかったのだろうか?

 もちろん、そんなことは絶対不可能である。では、そのギャップからくるどうしようもない不安におびえたことはないのだろうか?あるいは、著者たちの思いが凝縮した一冊一冊の本が集積した書棚を前にして、その圧倒的なエネルギーの風圧に、吹き飛ばされるような幻想にとらわれたことはないのだろうか?

 「本が好きなんです」という思いを大事にして欲しいというのは、そうした衝動、不安、幻想を大事にして欲しいということだ。「気が狂う」可能性さえ念頭に置きながら、それらから逃げないこと、言い換えればそれらと上手に付き合っていくことである。

 「まず、新人は新刊をやたらめったら買って読む。」
 ある先輩はそう断言した。いかに図書館のように既刊書を揃えていても、新刊の販売シェアは大きい。無意識のうちに、新刊にお客様=他者の欲望を読み込む。それが自らの欲望にもなっていくから、どうしても新刊に手が出る。ジャンルは特に選ばず、特に自分の担当内なら、あちらこちらに目移りする。

 実際、ぼくも新入社員として迎えた初めての正月休み前、自分が担当する人文書ジャンルの新刊を買い漁った。超古代史の本、教育問題、心理学、死生学…、新新宗教の教祖の本もあった。乱読である。書店で仕事を始めるまで、特に興味があったジャンルでもない。新新宗教に救いを求めたわけでもない。人文書の中では比較的派手に売れている新刊書に知らず知らず手が伸びたのである。ぼくはまさに、他者の欲望を欲望していたのだ。その中に不思議と、ぼくがもっとも興味を持っていた哲学・思想関係の本はなかった。

 「次に、全集を買い揃えるようになる。」
 手当たり次第の乱読の時期がしばらく続いたあと、確かにぼくもそうなった。岩波の「新・哲学講座」を読破し、続いて「西田幾多郎全集」を買い揃えた。その時には、正直に自分の興味のジャンルに向かう。腰をすえて読もうとするのだから、それも当然かもしれないが、「全集」買いも他者の欲望を欲望していることに違いはない。その衝動は、定期購読されているお客様が配本のたびに買っていかれる姿をくり返し目にすることによって生じ、配本中に前の巻がどんどん品切れしていくことを知ることによって強められるからだ。本は出たときに買っておかないと、手に入らなくなる。全集ものを揃えたいときは特にそうだ。後で売るにしても、巻数が揃っているのといないのでは売価が大きく変わってくるだろう、という計算もあった。

 こうしたプロセスは、若い書店人にとって重要な「通過儀礼」であると思う。第1のステップでは、読者=他者の欲望の多様性を身をもって知る。それは、自らが扱う書物という商品が、いかに広く深いものかを体得する過程である。それに対して第2のステップは、多様な欲望の海の中でさしあたり自分の立ち位置を決定する、すなわち「足場を固める」ことの重要性を実感する段階である。

 哲学科の学生が最初に担当教官から例外なく指示されるのは、次のことだ。「誰か一人の哲学者を定め、その哲学者の著作を徹底的に読み込み、研究しなさい。」それは、自然科学のように積み上げ的に進歩する学問ではない哲学の性格ゆえでもある。一人ひとりの哲学者が独自の体系を持っているし、新しいものが古いものより優れているという保証はまったくない。

 ただし、もっと重要なのは、一人の哲学者の思索を徹底的に追体験することによって、思索すること自体をトレーニングすることなのだ。だから、最初に選んだ哲学者の教説をいつまでも信奉する必要はない。さしあたり選んだ哲学者の思想は、いわば哲学という広大かつ豊穣な領域へと踏み出すための足がかりなのだ。

 書物という広大かつ豊穣な世界へ踏み出すためにも、確かな足がかりが必要である。書店人が第2のステップで全集を買い揃えようとするのも、どうしようもなく多様な書物の世界を前にして、足場を固めようとする「本能」なのかもしれない。

2005-12-05 | Permalink | コメント (0)

書店人への山登り

 たとえれば、登山であろうか。
 ある山をこれと思い定め、一歩一歩登っていく。その足取りの原動力は、もちろんその山の頂を目指す意志である。だが登山の本当の醍醐味は、山頂に達した時、あるいは山の中腹において思いがけず周囲に広がる山脈(やまなみ)を目にすることではないだろうか。
 そこではどの山の頂が最も高いかなどという比較は、あまり意味をもたない。自らが目指す頂の標高がどのあたりの順位にあるかなどということも、もちろん問題ではない。多くの頂が連なるその眺望こそが、感動と喜びを与えてくれる。そして、そうした光景を目にすることができたのは、一つの頂を目指して登り続けてきたからこそである。

 広大かつ豊穣な書物の世界を前にめまいを感じた書店人は、本能的に足場を固めようとする。そしてその次に開けてくる眺望は、そのような山脈なのである。哲学の徒が、一人の哲学者の思索を徹底的に追体験することによってはじめて、哲学の世界の広大さに目を見開くように、書店人もまた、あるジャンル、極端な場合には一人の著者にこだわり、それに精通しようと努力を重ねることによって、書物の世界全体の広大な眺めを、見晴るかすことができる高台に辿りつくことができるのだ。

 「学生時代に研究していたことでもいい、専攻とは無関係だが好きで読み続けていたものでもいい、自分にとって真剣に取り組むに値すると思う学問・芸術・趣味があれば、是非それを究め続けて欲しい。実際に興味を失ったのならともかく、少なくとも『就職したから』という理由で、それを断念するのはやめて欲しい。」

 ぼくは新入社員たちに、ずっとそう言いつづけてきた。それは、山脈を見晴るかすためには、自らもどれかの山を登らなければならないからだ。すでに何合目かまで辿ってきた山道であれば、それを登り続ける方が手っ取り早いし、その山道が快適なものであったのなら、わざわざそこを下って別の登山口を探す必要はない。

 脇目もふらずひたすらその山頂を目指せということではない。それは研究者・学者の仕事であって、書店人の仕事ではないからだ。書店人にとって大切なのは、これと決めた自らの山道を辿りながら、その都度周囲を見渡し、そこに広大な山脈を見出すことなのだ。
 言うまでもなく、目に入った山々のすべてを登頂することはできない。そんなことを想像しただけで、書店人はめまいに襲われ、本気でそんなことをやろうとすれば、発狂の憂き目におちいるほかはない。

 そこで必要なのは略地図である。まず自分の得意ジャンルで足場を固めた書店人は、他のジャンルについても概略をつかもうとする。それは、棚づくりのためであり、毎日入ってくる新刊をしかるべき場所に収め、さらには売行きを予想して事前注文や追加発注の数を決定するためだ。そのための武器になるのも、やはり本である。書店人はまず、さまざまな分野について出されている概論、入門書、マニュアルに目を向けるかもしれない。それらは、それぞれの山の位置、形状を把握するには、とても簡便なものである。「別冊宝島」や「アエラムック」など、ぼくもとても重宝した。ビジネス書、実用書系の出版社も、さまざまなジャンルの入門書を出している。

 だが、ぼくの経験からいえば、いわゆる概説書、入門書、アンチョコの類は、書店人の血肉とはならない。読んでいる時はなるほどと思うのだが、しばらくすると忘れてしまう。おそらくそれは、著者自身が強い志向を持って書き綴った文章相手にのみ、読書における格闘が生まれるからだろう。そうした本との格闘こそ、書店人には不可欠の修業なのだ。

 ぼくにとってそれは、例えば『文学部唯野教授』(筒井康隆著・岩波書店・1990年)や『20世紀の女性精神分析家たち』(ジャネット・セイヤーズ著・大島かおり訳・晶文社・1993年)だった。前者は「海外文芸評論」の棚、後者は「精神分析」の棚に、ひとつの流れを形づくってくれた。それまでデコボコだった本の並びに、なだらかな稜線を与えてくれたのだ。そして何よりも書き記しておきたいのは、それぞれの本が読んでいてとても面白かったことだ。読むことの快楽こそが、書店人に仕事へのモチベーションを、そして仕事そのものの快楽を導き出すのである。

 「唯野教授」では、ブックフェアもやった。そして、ブックフェアでのリストづくりが、そのまま書棚の本の並びにも反映された。最初の著書(『書店人のしごと』三一書房・1991年)で、ぼくは「ブックフェア企画十個条」の第十条として、「担当者の勉強にならなければならない。」と掲げ、それをブックフェアの最大の効能だと言い切った。

 「ひとつひとつのブックフェアを通じて書店人が成長し、その成長を新たなフェアに、また日常の棚構成に反映させることによってのみ、書店は進化することができる。」

2006-01-05 | Permalink | コメント (0)

ブックフェアかくあらんとす

 「ブックフェアに興味があります。いろいろなブックフェアを企画して、お客様にさまざまな提案をしていきたいのです。」

 採用面接で、こんな風にアピールする応募者も多い。大量の新刊の処理や売行き良好書の手配に追われ、規模の大小にかかわらず「金太郎飴」と批判される書店現場にあって、自らの思いと研鑽を表現できるブックフェアに情熱をもつことは、よいことだ。

 ただし、ブックフェアは開催そのものに意味があるのではなく、訪れたお客様の関心を呼び、共感を得て本が売れて初めて、成果があったといえる。書店人の重要な仕事は、「自分の欲望」の実現ではなく、「他者の欲望」の誘発なのである。自らの思いにあまりにこだわることは、結果的に「ひとりよがり」に終わることが多い。そもそも、自分のこだわりだけでは、すぐにテーマのストックが底をつく。ここでも重要なのは、「他者の欲望」を欲望することなのだ。書店現場にみなぎる「他者の欲望」を貪欲に吸収する限り、テーマに困ることはない。変化に富んだブックフェアを展開することができ、自ずと結果もついてくる。

 『時代の興味、要求に呼応したトピカルなものでなければならない』
 かつて「ブックフェア企画十箇条」の第一条としてこう掲げたのも、それゆえである。時代の趨勢、世界を動かす大事件、メモリアルイヤーなど、目を広く社会全体に向ければ、ブックフェアを開催するテーマには事欠かない。古い話で恐縮だが、ぼく自身、1989年には「フランス革命200周年」、90年には「大嘗祭」、91年には「イスラム」のフェアをやった。

 とはいえ、「時代の興味、要求」は、その時々のトップニュースに限らない。書店の風景が、常に時代の波のうねりに翻弄される必要はない。むしろ、書店現場で発生する小さな「興味」の動きにも、敏感に対応していくべきである。そのためには、読者の小さな「興味」に共振するセンサーを、常に磨いていかなければならない。そのための、愚直だがもっとも確実な方法は、書店人自身が本を読んでいくことである。

 読者の欲望が渦巻く書店現場というアリーナは、書店人の欲望を掻き立てる絶好の場である。レジカウンターで本を売るその瞬間に、時として読者の欲望が書店人の欲望に転移することもある。ただし、その転移は、あらかじめ書店人が自分自身の欲望で本を読むという経験を蓄積していなければ、起こらないであろう。

 前回紹介したように、『文学部唯野教授』(筒井康隆著・岩波書店・1990年)でフェアをやったのは、実際にこの本を読んで面白かったからである。ギャグとパロディに満ちた筒井作品の面白さを大いに堪能したうえで、作品中で主人公唯野教授が行なう文学評論についての講義部分が、とても勉強になった。「あれだけ売れた本だから、読んだ人の中には、講義部分に興味を持った読者もいるだろう。」と思い、脚注に紹介された本を集めてブックフェアを開催した。いわば、すでにベストセラーになっていた本の持つ欲望喚起力に、期待をしたわけである。

 『フェアの目玉となる新刊、有力企画が存在しなければならない』
 「ブックフェア企画十箇条」第二条の「目玉」は、この場合、『文学部唯野教授』という、すでに多くの読者に受け容れられた商品であった。一方で、ことの順序が逆となる「目玉」もありうる。有力と思われる新刊、新企画の発刊と同時に展開するブックフェアの場合であり、そのときには、フェアの方が「目玉」の販売を後押しするという意味合いを持つ。『文学部唯野教授』フェアは、誘発された読者の「欲望」に、その成否を負っていたが、今度の場合は、別の「欲望」に期待がかかる。その「目玉」を売りたいという、出版社の「欲望」である。

 特に新シリーズや全集企画では、出版社は時に「社運をかけて」広告宣伝を行なう。そうした出版社の「欲望」に乗ったフェアは、出版社から援軍を得ることができる。選書のための資料を提供してもらえることも多く、ブックフェアの開催を商品の新聞広告に併載してくれたりもする。

 書店人の「欲望」と出版社の「欲望」が結びついたそうしたブックフェアにおいても、もちろん読者の「欲望」は無関係ではない。それを見込まずして、そもそもその出版企画自体がありえないからだ。読者、書店人、出版社のそれぞれの「欲望」が共振した時、ブックフェアは成功し、書店現場は活気づく。

 「目玉」を中心に据えたとき、ブックフェアのための選書は、その「目玉」が挙げる参考文献に準拠することが多い。あるいはブックフェアとは、継時的な読書体験を、空間的に表現したものといえるかもしれない。であればやはり、ブックフェアの持つ厚みも、企画者の貪欲な読書の快楽の追求にかかっているのだ。

 かの哲学者西田幾多郎が後進に奨めた読書法は、次のようなものであったという。
 「西田先生の示された読書法は非常に有益なものと思う。曰く、まず一つの良書を手に入れたとする。それを読むとき脚注を丹念に読むことを忘れないことだ。良書の脚注にのっている参考書はまた良い参考書に相違ない。その参考書を読むとそのうちにまた良い参考書が挙げてあるに相違ない。それで更にまたこの参考書を読み、以下かくの如くにして、良書が次から次と発見されるとともに、これによって研究が次第に深まって行くのである、と。」(高橋里美著・『全体性の現象学』京都哲学撰書第17巻・燈影舎・2001年より)

2006-02-05 | Permalink | コメント (0)

本当のPOP。本当の書店人。

 どうやらぼくは、「POP嫌い」で通っているようだ。

 「いわゆるポップというもの、どうもピン・スポットの悪弊を連想して、ぼくは好きになれない。その本が、周りの本との有意な関係性の中でレイアウトされているのならば、そのことはむしろマイナスではなかろうか。一部選ばれた本だけが浮き上がる構造というのは、総合芸術の場である「劇場」としての書店には、ふさわしくない。ましてや、ポップがあるせいで、並んでいる本が隠れてしまっているなど、決して許される状態ではないと思う。」(『劇場としての書店』新評論・2002年)などと書いているのだから、それも当然かもしれない。

 対極に、『白い犬とワルツを』伝説がある。千葉県津田沼市のブックス昭和堂の副店長木下和郎氏が、ある既刊の新潮文庫に目を付け、手作りのPOPで同書の魅力を訴えて4ヵ月間で1300冊を販売、全国的にも火がつき、“刊行3年目のベストセラー”として注目を集めた。まさに、POPの威力を物語るエピソードである。

 これについて、ぼくは全く否定的ではない。それは、開き直りでも結果論でもない。
 ぼくがPOPを使わないのは、平台が少なく、棚差しの専門書を一冊一冊丁寧に売っていく書店に、長く勤めているからだ。そうした売り方が唯一だとも、王道だとも思っているわけではないから、違う環境の売場では、それぞれに適した展示・販売方法があることに異を唱えるつもりはまったくない。

 このエピソードから何よりも学ぶべきは、木下氏が「まず一読者として感動した」ということだ。つまりPOPの内容が、言い換えれば読者に薦めたいという気持ちが、「ほんもの」であることだ。
 この話を聞いたとき、何よりも危惧したのは、かたちだけを真似る書店人が出てくることである。売らんがために、特に感銘を受けたわけではない本に、さらには読んでもいない本に、真似事のPOPを作成して付けることが流行ることを恐れたのだ。そうしたPOPは「ほんもの」ではないから、「本家」のような効果を読者に与えるはずもなく、またPOPを「作成」したことで、何か仕事をしたような錯覚に陥られたら困ると思ったのだ。書店人の仕事は、あくまで本を「販売」することだからだ。明らかに読んでいるとは思えない新刊書に「店長のおすすめ」という札が臆面もなく添付されている風景に時折出会っていただけに、ぼくは大いに憂慮したのである。木下氏も「中身を読んでからコピーを書くこと。オビやあらすじなど表面だけをなぞっても効果は薄い」と語る。

 「自分がいいと思った本を多くの人に薦めたい」という初心を持ちつづけることは、非常に大切である。その思いが作成するPOPに乗り移り、それが「ほんもの」になったら、そしてそれが「販売」に結びついていったら、その仕事を否定する気持ちはない。ただ、その場合でも、「POPをつけられたその本は目立つが、周りの本たちはその分沈んでしまう」という副作用が、どうしても残ってしまう。

 本への思いを表現する方法は、POPだけではない。ぼくが推奨したいのは、書評を書くことである。ぼくは、入社1年目から、ジュンク堂のPR誌「書標(ほんのしるべ)」に、毎月書評を書かせてもらった。今年で入社して丸24年だから、280本以上になる。毎月というのは、それなりに苦行でありプレッシャーもあったが、生来怠け者であるぼくに、少なくとも月1冊は新刊書を読むことを課してくれた、ともいえる。続けていくことによって、書評を書くコツも知らず知らず身についてきた。そのうち、社外からも依頼が来るようになり、「ライフサイエンス」や「京都リビング新聞」に連載した。

 他者の目に止まるわけだから、いい加減なことは書けない。書評する本は、最近ではたいてい二度読みをするようになったし、多角的に本を見る目も養われたような気がする。

 また、自分が本を上梓し、その本に書評が寄せられる立場を経験したあとは、著者の気持ちもわかり、気になった著者には臆することなく書評をお送りするようになった。そうやって知り合いになり、懇意にしていただいている著者も多い。いわば、ぼくにとって、書評は重要なネットワーク戦略ツールであったわけだ。

 顧れば、劇団時代から親交のあった文化部長の薦めで書かせていただいた神戸新聞を皮切りに、出版社のPR誌や業界紙に時々短い文章を寄せるようになり、それが処女作「書店人のしごと」(三一書房 1991)の上梓へとつながっていった。毎月の書評で、試行錯誤しながら自分の文章と格闘してきた経験が結実したといえるとも思う。

 「本屋という快楽」というこの連載もまた、長く歩んできた道のつづきにある。その道をたどる上でのモットーはただひとつ。
 「頼まれた仕事を、決して断らないこと。」

2006-03-05 | Permalink | コメント (1)