小村 智宏

  • Tomohiro Omura
    1965年生まれ。89年、日本長期信用銀行へ入行。長銀総合研究所を経て、99年、三井物産の新研究所設立に参画。現在、三井物産戦略研究所にて社会、経済、産業について幅広く研究活動を行っている。
    小村さんの個人サイト、未来経済研究室はこちらから。
     ↓
    未来経済研究室
  • 【未来への経済論】
    このブログを大幅加筆・修正したものが1冊の本になりました。お求めはお近くの書店、アマゾン等のネット書店にて。 4335450281jpg_2

recre-Contents

« アザー・ピープルズ・マネー-企業を壊すことの意味- | メイン | 素晴らしき哉、人生!-コミュニティによるコミュニティのための事業- »

ショコラ-公共の利益と企業活動-

chocolat
 優しくて暖かい映像とストーリー。なんとはなしに観る人の心を和ませるような映画です。「おとぎ話のような」という表現があたるでしょうか。ですが、これを一つの寓話として観ると、そこに込められた寓意にはなかなか奥深いものがありそうです。

 物語の舞台は1959年のフランスの片田舎。そこでは、信仰心の厚い村長、レノー伯爵(アルフレッド・モリナ)が人々の尊敬を集めてリーダーの役割を果たし、人々はキリスト教の教えを支えに平穏な日々を送っていました。
 そんな村に、ある風の強い日に現れてショコラテリー(チョコレート・ショップ)を開いたのが、主人公のヴィアンヌ(ジュリエット・ビノシュ)でした。彼女は店を訪れる村人それぞれに一番ぴったりのチョコレートを差し出します。そのチョコレートは、まるで魔法のように、彼らにちょっとした奇跡、ちょっとした幸せをもたらしていきます。
 ヴィアンヌの周りには、彼女のチョコレートに魅せられた人々が集まってきます。既存の秩序を否定して船で旅を続けている流民のリーダー、ルー(ジョニー・デップ)も彼女の支えになっていきます。ですが村長のレノー伯爵の目には、教会に通おうとしないヴィアンヌは村の秩序を乱す危険な存在に映りました。彼は、村の人に彼女の店に出入りしないように説いて、彼女を追い出しにかかったのです。

 この映画では、ヴィアンヌのチョコレートが、村の人々の気持ちや人間関係を優しく変えていくストーリーがいくつも連ねられていきますが、ストーリーの骨格となっているのは、伯爵とヴィアンヌの対立です。
 二人の関係は、安定と変化、秩序と自由、伝統と変革といった対立する概念の象徴としてとらえられます。それらはいずれも、単純に善と悪とに色分けできるものではありません。この物語自体は、自由と変革を象徴するヴィアンヌ寄りではありますが、対する伯爵の方も、決して悪い人として描かれてはいません。彼が頑なに秩序や伝統を重んじるのも、ヴィアンヌを追い出そうとするのも、すべて村の人々のためを思ってのことでした。
 その意味で、ヴィアンヌと伯爵との関係は、企業とコミュニティとの間の緊張関係のメタファー(隠喩、暗喩)にもなっています。人々に新しい「豊かさ」を提供しようとする企業と、それを規制しようとするコミュニティの政府という図式です。
 現代の経済においては、儲からない企業は株式市場の働きで存在を否定されてしまいますが(「アザー・ピープルズ・マネー」の項をご参照ください)、儲けが出るからといって、それだけで存続が認められるわけではありません。もう一つの大切な物差しが「公共の利益」です。伯爵がヴィアンヌのショコラテリーを追い出そうとしたのも、その観点からでした。彼女のチョコレートが村の安定と秩序を乱し、公共の利益を損なうと考えたわけです。
 もちろん、村に彼女のチョコレートを欲しがる人が多かったことは確かです。ですが、求める人がいるというだけでは、その事業の存在を認めるには十分ではありません。そのことは、麻薬や銃器の販売が規制されている例を考えれば明らかでしょう。逆に言えば、求める人がいても、また儲かる企業であっても、公共の利益に反するものは、適切に規制していくことが、コミュニティや政府の役割でもあるのです。

 ですが、公共の利益を誰がどうやって判断するのかは、たいへん難しい問題です。原則としては、コミュニティの住民や国民の総意、基本的には多数決で決めるということになりますが、「ヒットラーはきわめて民主的な手続きで国家元首になった」という、よく使われる事例を考えれば、民主的な多数決が万全でないことは否定できないでしょう。
 現代では、議会制だとか大統領制だとか、いろいろな政治システムがありますが、議員たちが既得権の確保に走ったり、選挙で勝つこと自体を目的化してしまったりで、なかなか完璧な政治システムは生み出されてはいません。

 この映画でも、ヴィアンヌがやってきたときの村は、人々のためを思って頑張ってきた伯爵の努力にもかかわらず、公共の利益が保たれた状態ではありませんでした。伯爵の指導の下で、静かで秩序正しい暮らしはできていたものの、村人たちは本音のところでは、少々息苦しく感じていたのです。
 伯爵本人も、伝統と秩序を重んじるあまり生真面目になりすぎて、妻に逃げられてしまったり、自分の気持ちをなかなか素直に表現できなかったりと、自身が伝統と秩序の犠牲になっていた面もあったのです。
 ヴィアンヌのチョコレートが、最後には村の人々だけでなく、公共の利益を判断する立場にある伯爵さえも虜にしてしまったのは、村全体がそんな息苦しい状態にあったためだったと言えるでしょう。ヴィアンヌのチョコレートを受け入れることで、村もレノー伯爵も古臭い伝統や秩序から解放されたのです。

 この映画では、伝統や秩序に縛られる因習からの解放が大きなテーマとなっていますが、解き放たれたのは村人や伯爵だけではありません。彼らを解放したヴィアンヌ自身もまた、一つの場所に住み着くことを許されない、祖先から受け継いだ「旅する者」としての宿命から解放されて、村に落ち着くことを決めたのです。
 それはコミュニティと企業のメタファーに則して言えば、時代にそぐわない古臭い規制が緩和されたことで、ショコラテリーという新しい産業が生まれ、人々の暮らしが豊かになった、という図式になるでしょう。
 とはいえ、規制緩和がいつでも正しいということではありません。行き過ぎた自由は無秩序と混乱を生みますし、伝統の軽視は生活文化の喪失につながってしまいます。安定と変化、秩序と自由、伝統と変革。私たちの社会を考えるうえでのポイントは、これらの間でいかに上手くバランスを取るかにあるのです。

 今回は、公共の利益と企業活動について、企業に対する規制の側面から考えてみましたが、次回はフランク・キャプラ監督、ジェームズ・スチュワート主演の「素晴らしき哉、人生!」(46年、アメリカ)を題材に、公共の利益のためにコミュニティ自体が取り組むべき事業について考えてみることにしましょう。

 さて、今回はここで余談を少し。現実の世界で、ヴィアンヌのショコラテリーのように新時代の「豊かさ」を提示して世界各国の人々を惹きつけ大企業に成長してきたのが、マクドナルドをはじめとする、アメリカ発祥のさまざまなファストフード・チェーンです。
 それに対して、ファストフードを伝統的な生活文化を壊す存在だと受け止めて、彼らの侵攻に一番神経を尖らせているのが、おそらくフランスです。私もかつてパリを訪れた折、シャンゼリゼ大通のマクドナルドの前で抗議活動をやっている人たちを見たことがあります。これは裏返すと、実に豊かなフランスの生活文化でさえも、放っておくとアメリカ発のファストフードに、その基盤を掘り崩されてしまう懸念があるということなのでしょう。
 一方、同じヨーロッパの国でも、イギリスの場合には、ファストフード・チェーンの浸透には比較的寛大です。それは、イギリスで重視されている文化はあくまでも貴族の文化であって、庶民の生活文化にはあまり重きを置いていないためかもしれません。
 もちろん、アメリカやイギリスにも、生活文化を大切にしようという人は少なくありませんから、そうそう単純化するわけにはいきません。ですが、そんなことを考えてみると、アメリカで製作された、この「ショコラ」という映画の舞台が、アメリカでもイギリスでもなくフランスに置かれていることにも、ちゃんと必然性があることが理解できるのではないでしょうか。

【今回の映画】
ショコラ(2000年、アメリカ)
原題:Chocolat
監督:ラッセ・ハルストレム
出演:ジュリエット・ビノシュ、アルフレッド・モリナ、ジョニー・デップ

【次回の映画】
subara
素晴らしき哉、人生!(46年、アメリカ)
原題:It's A Wonderful Life
監督:フランク・キャプラ
出演:ジェームズ・スチュワート、ドナ・リード、ヘンリー・トラヴァース