安田 行宏

  • Yukihiro Yasuda
    1972年11月12日、神奈川県生まれ。一橋大学大学院博士課程修了。東京経済大学経営学部助教授。専門・専攻は、コーポレートファイナンス。

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最終回―大学って何だろう-

 いよいよ今回で最終回となりました。経済学に興味のある高校生(さらには現役の大学生、社会人の方も含めて!)を念頭に置きながら、大学の経済学への招待という趣旨で連載をしてきました。
 そこで今回は、総まとめとして、これまでの連載で触れられなかった点について補足を行いながらこれまでの議論を簡単に振り返りたいと思います。そして、今回の連載で時折触れてきた、大学での勉強の特徴やその意味について現時点での私なりの考え(独断と偏見も含めて)を述べて、経済学に止まらず大学での勉強に興味のある人へのメッセージとして今回の連載の結びに代えたいと思います。

今回の連載のREVIEW
 まず、これまでの連載の構成を簡単に振り返ることにしましょう。第1回では、経済学の目的は何かということについて説明し、それは「希少な資源の有効活用」であり、それを達成する仕組みとして市場メカニズムの理解が経済学の中心的な課題であると述べました。
 市場メカニズムの理解をする上で需要曲線と供給曲線は経済学の基本中の基本となる概念です。そこで第2回と第3回を使ってこれらの概念を説明しました。繰り返しになりますが、第2回と第3回の内容で学生の皆さんが最もつまずきやすい点は、これまでの私の教育体験からすると、同一の需要曲線上の議論(例えば、価格が下がると需要量が増えるという右下がりの関係)と需要曲線のシフトの議論(例えば、どの価格水準においても(以前より)需要が増えて需要曲線が右上へシフトする)が混在してしまうことです(供給曲線も同様)。今後の学習(復習?)の際に理解を確認してください。この点がクリアーできると後はいろいろな現象に対して実際に使ってみることで理解がいっそう深まるようです。「習うより慣れろ」の段階といってもよいかも知れません。
 そこで第4回から第6回までの3回を使って、需要曲線と供給曲線の概念の応用例として金融問題を取り扱いました(私の専門が金融という理由からですが)。具体的には「貸し渋り」問題の分析を行いました。これにより経済学の枠組みを通じて経済現象を分析する有用性を実際に体験してもらうことに主眼がありました。
 第4回では金融について今回の連載に必要と思われる基礎的な知識を紹介し、資金の貸借関係を需要曲線と供給曲線を使って表現することを学びました。第4回では、金融関係の専門用語がいくつか出ており、ピンと来ない箇所もあるかと思いますが、気になる人は今後いろいろな本を紐解くことでしっくり理解できるように是非してください。こうした自分から学ぼうとする姿勢こそが大学での勉強の始まりでもあるのです(説明不足の言い訳のようですが本当ですよ!)。
 第5回では、「貸し渋り」現象は、供給曲線の左上方へのシフトとして表現されることを学びました。一方で、同じ貸し出しの減少を引き起こす「借り入れ需要の低迷」は需要曲線の右上方へのシフトとして表現されることも紹介しました。そして、実際にどちらが生じたのかという点について金利の動き方の違いで識別できることを説明しました。ところで、今回の連載では触れられませんでしたが、需要の低迷に対する有効な処方箋として財政政策があります。国がお金を計画的に使うことで意図的に需要を作りだすことを考えます。こうした内容を扱う財政学も経済学の重要なテーマですので関心のある方は是非勉強してください。
 さて話を戻すと、これらの議論を紹介したのは、「複雑すぎる現実の経済現象」を、需要曲線・供給曲線といった概念を用いて単純化して分析することの有用性を知ってもらいたかったからです。この点については、他の先生方も様々な表現を用いて皆さんに強調しています。例えば、ファイナンスの小部屋の第5回では「モデルというメガネをかけて現象を見る」という表現を用いていますし、経営の小部屋の最終回では「ひとつの枠組みで現実をみる」といっています。いずれも分野のアプローチの仕方に違いはあっても「複雑すぎる現実の経済現象」に対する理解の方法である点においては同じなのです。
 そして前回の第6回では、第5回の金融問題の分析の議論について批判的に吟味しました。そこで取り上げたのは、
 ①「貸し渋り」の定義の妥当性について
 ②市場均衡の成立可能性について
 ③需要曲線・供給曲線の同時シフトの可能性について
です。そして、いずれも慎重な検討が必要であることを説明しました。説明の内容を吸収することに力点が置かれすぎると、議論の背後に潜む問題点に気づかなくなる傾向にあります。大学での勉強では、議論の内容を批判的に吟味した上で、「納得する」か「説得される」ことがこれまで以上に重要であることを強調しました。
 以上がこれまでの連載の概観になります。総じて、大学での勉強の特徴を意識しながら、複雑な経済現象を理解する上での経済学の有用性とそれを学ぶ上での注意点について紹介してきました。今回の連載では経済学を学ぶと経済現象を深く理解するために役立ちそうだなという雰囲気(言い換えると、経済学を学ぶことにメリットがありそうだなという雰囲気)や、どういった点に注意して勉強をするべきかというヒントを提供することに主眼を置いています。したがって、これらの内容は大学で十分に時間をかけて勉強することになりますから、今回の連載で完全に理解できなくても心配は入りません。上記の趣旨をくみ取ってもらえればと思っています。
 さて、以下では大学で勉強をすることの意味について私なりの考えを紹介するとともに、具体的に、前述の批判的に吟味できる力(批判的態度)を身につける方法について述べておわりにしたいと思います。

大学での勉強―答えに要領よく到達するための勉強からの卒業―
 これまでの連載の所々で大学での勉強の特徴についても触れて来ましたが、ここで大学での勉強と高校での勉強の違いについて、私なりの印象を簡単にまとめてみます。高校での勉強の特徴は、正解にできるだけ早い時間で(効率的に)到達する暗記を重視した学習であると言えます。この背景の一つに大学受験があるのでしょう。これはこれで基礎的な知識の習得には重要なのですが、大学での勉強の特徴は、じっくり時間をかけて論証することを重視する学習であると言えます。そのため、必ずしも正解を早く答える要領の良さは必要に迫られるものではありません。その代わりに、なぜそういえるのか、本当にそうなのかといった素朴な疑問に対して、答えを急がずじっくりと吟味する姿勢が要求されます。こうした姿勢はこれまで何度か触れてきた批判的態度に通じるものです。例えば、定義を大切にすることの重要性は、そうした大学の勉強のスタンスの格好の事例でしょう。ではなぜこうした学習が重要なのかという疑問がわいてくるかもしれません。そのことはなぜ大学で勉強する必要があるのかという質問につながってきます。

大学での勉強は役に立つの?
 多くの人が大学に行くようになった今、「大学とは何か」ということが改めて問われる時代になっているかと思います。少子化問題を背景に大学のあり方が問われているとも言えます。就職を少しでも有利にする準備期間としての大学、あるいは社会人になる前のモラトリアムとしての大学など大学のあり方は様々です。こうした現状を見て、果たして自分は大学に行く必要があるのだろうかと疑問に思う高校生も少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。こうした素朴な疑問に対す私なりの答えは、このような時代であっても大学に進学して勉強をする意義は十分にあるというものです。その理由を説明しましょう。
 それは、大学時代は、大学生活を堪能することが実は重要な目的であり、大学生活を充実させること自体に十分意味のあることであると思うからです。言い換えると、大学時代は決してのその先のための準備期間やモラトリアム期間ではないということです。よく考えてみてください。4年もの長い月日を、公認会計士などの専門的職業に就くことを目指す一部の人を除けば、(就職に有利になるという理由だけで)資格勉強をしたり、モラトリアムとして時間を費やしたりするのは、とてももったいないことだと思いませんか。大学時代は、一生涯の友人をたくさん作るとともに、大学で学ぶ事柄について徹底的に討論したり、あるいは将来について語り合ったりする、その時代にしかできない時間を堪能するためにあるのです。したがって、この意味で、大学を資格予備校、あるいはレジャーランドとして見たりするのはナンセンスだと思います。
 もちろん、そうは言ってもその先に待つ就職を考えると不安なのも分かります。そこで関連してくるのが大学での勉強は社会人になってからも「役立つ」のかという疑問です。これに対する私なりの答えは、十分に役立つ、いや役立つどころか一生涯の方向を決定付ける基盤を形成するのが大学であるというものです。この点についてもう少し説明しましょう。
 大学での勉強がはじまって少し経ってくると、大学での勉強はどうも実社会では「役にたたない」と少なからずの学生の皆さんが感じるようです。そして、「役に立たない」ものをなぜ苦労をして勉強をするのだろうかと疑問を持ち始めることすらあるようです。また、その裏返しとして、できるだけ「苦労をせずに(楽をして)」、でも「直ぐに役立つ」何かを大学で学びたいと思うようになる一方で、それが大学では実現できないと閉塞感が生まれることもあるようです。こうなってくると大学に進学したこと自体に疑問を抱きはじめ、勉強どころではなくなってきてしまいます。
 この点については二つコメントしておきたいと思います。まず、何をもって「役にたつ」というのかは実は難しい問題です。資格のように自分の肩書きになるモノは「役に立つ」というかもしれません。しかし、それだけではないのも事実でしょう。そして、仮に「直ぐに役立つ」ものがあったとしても、それは「直ぐ」に賞味期限が来てしまう知識であることが多いはずです。つまり、比較的簡単に身に付き直ぐに使える知識は、直ぐに使える分、賞味期限が短いということです。
 これに対して大学で学ぶ知識体系は、なかなか身に付いたような実感もなく、実際身に付くまで時間がかかるかも知れませんが、苦労の分だけ賞味期限が長いと考えられます。その一つが実はこれまで連載で触れてきた批判的に吟味をする力(批判的態度)ということなのですが、誤解を恐れずに大胆に具体化して述べると、本を正確に読むことができる力(読む力)、それに基づき自分の意見を自分なりの説得力を持って人に伝えることができる力(書く力、話す力)、さらには人の見解をきちんと聞くことができる力(聞く力)ということです。「なんだそんなことか」と思われるかも知れませんが、実はとても難しいことである一方、とても普遍的な「役に立つ」力なのです。
 実際、多くの企業が使える人材として求める学生像は、実は、数ヶ月で取得できる資格を持つ人材ではなく、前述の意味で批判的吟味のできる力をもった個性豊かな人材であるとも言えます。そういう意味では、大学での勉強は、大学時代を十分に堪能できれば、結果として将来に「役立つ」力なのです。こうした「役立つ」力を4年という十分な時間を通じて個々人が形成する場が大学なのです。

批判的に吟味できる力(批判的態度)の習得へのヒント
 さて、これまでの議論では、この批判的に吟味できる力(批判的態度)を身につける方法、言い換えると、大学らしい勉強法について紹介していませんでした。このことについて私なりの考えを述べて皆さんの大学での勉強のヒントにして頂ければと思います。
 こうした批判的に吟味できる力は、一朝一夕に身に付くものではなく、じっくり時間をかけて、意識的に議論を吟味するとともに、自分自身の理解を自己診断することが必要です。しかし、こうした力は講義を一方的に聴いているだけではなかなか習得できないのも事実だと思います。そうした訓練の場の一つとして、多くの大学ではゼミナールという少人数の授業が用意されています。通常、一人の先生と15人前後の学生から構成され、一つの本を徹底的に深く読みこなしたり、一つのテーマについてゼミナールのメンバーの間で徹底的に討論したりします。したがって、大学ではゼミナールに積極的に参加してほしいと思います(「徹底的」にやるというのが大学の勉強のキーワードです)。
 また、ファイナンスの小部屋で強調されているように、数学の力は、確かに「論理的な思考だけでなく、状況を整理する能力や効率的な思考方法を身につけることにつながる」面があります。実際、経済学では、社会科学の分野でも特に勉強が進んでくると数式が数多く出てきます。「文系だから数学は必要ないと思ったのに」という声が聞こえてきそうですが、文系だから数学は必要ないというのは誤解なのです。経済学で数式が数多く出てくるのは、数学は計算問題を解くパズルではなく、論理を正確に(厳密に)展開する上で、とても便利な言葉だからです。こうした言葉を自由に使いこなせることは、自分の議論の説得力を高める上でとても有用なのです。こうしたことから、高校時代に決して文系だからという理由で数学を軽視せずにきちんと勉強をしてもらいたいと思います。

おわりに
 さて、大学らしい勉強法のヒントとして二つほど述べましたが、一般に、高校での勉強は大学での勉強の基礎になります。それは経済学だから生物はいらない、あるいは経営学だから数学はいらないというような単純な関係にはなく、高校で学ぶ様々な科目がどの社会科学の分野にとっても重要な土台となっています。この点は会計の小部屋の「最後に」でも同様のことが触れられています。結局、「社会」を「科学」する「社会科学」の最終的な目標が社会を構成する我々「人間」への理解である以上、これまで蓄積されてきた学問的知識が直接・間接的に連関しているといえるのかもしれません。
 私は、今回の連載を通じて経済学の魅力(「切れ味」といいいましょうか)はもちろんのこと、結果として経済学を通じて大学での勉強の意味を、これから大学で学ぶことを考えている皆さんに少しでもお伝えしようとしました。今回の連載が少しでも皆さんの参考になればと思いつつ、皆さんの大学生活が実り豊かなものになることをお祈りしています。


これまでの参考文献―これから経済学を学ぶ人へ-
 以下では、大学で学ぶ経済学の参考文献について紹介しておきます。第2回で説明したように、大学の経済学の基礎はミクロ経済学とマクロ経済学の両輪から成立します。これらの代表的な教科書としては、
ミクロ経済学:
①スティグリッツ『スティグリッツ ミクロ経済学(第2版)』東洋経済新
 報社
②倉沢資成『入門価格理論(第2版)』日本評論社
③伊藤元重『ミクロ経済学』日本評論社
マクロ経済学:
①スティグリッツ 『スティグリッツ マクロ経済学(第2版)』
②マンキュー『マンキュー マクロ経済学 第2版〈1〉入門篇』東洋経済
 新報社
③伊藤元重『ミクロ経済学』日本評論社
④福田慎一・照山博司『マクロ経済学・入門』有斐閣アルマ
などがあります。
 一般に、これらの教科書は翻訳されたものと、日本人が書いたものの二つに分類できます。翻訳されたものは世界的に知られるだけあって定評のあるものです。例えば、①はノーベル賞受賞者自身によって書かれた教科書です。そういった本を日本語で読むことができます。一方、翻訳の弱点としては図表などが主に米国のデータに基づくものであり、日本のそれではないことです。日本人の手によるものはその点は心配がない上、少なくとも上記の教科書は定評のあるものです。もちろん、これ以外にも膨大なミクロとマクロの教科書がありますので、本屋で実際に手にとってみて、自分にしっくりするものを選ぶのも良いかと思います。
 今回の応用例として取り上げた金融問題については、
①池尾和人『現代の金融入門』ちくま新書
②藤原賢哉・家森信善『金融論入門』中央経済社
③花輪俊哉・小川英治・三隅隆司編『はじめての金融経済』東洋経
 済新報社
などが参考になるかと思います。

金融問題を通じて見る日本経済(その3)

 いよいよこの連載も残すところ今回を含めて2回となりました。ここ数回続けてきた金融問題の話題は今回で終わりになります。今回も前回の議論の内容について簡単に復習することから始めましょう。

前回の議論の復習
 前回では、まず、「貸し渋り」現象は資金の供給曲線の左上方へのシフトとして通常理解することを学びました。前回の図14を見てください。「貸し渋り」が発生することによって、市場均衡A点の状況から、市場均衡B点の状況となります。このとき確かに「貸し渋り」という言葉の言外に含まれるであろう貸出の低迷が、具体的に貸出量のから**への減少として表現されています(横軸に注目)。一方、注意すべき点として市場均衡の金利はrからr**へ上昇しています(縦軸に注目)。このように経済学の需要曲線と供給曲線という概念を用いて「貸し渋り」現象を表現することができました。
 続いて、「貸し渋り」問題を考える上での重要な論点は、本当に銀行は「貸し渋り」を行っていたのか否かであることを紹介しました。言い換えると、銀行側の主張は、貸出の低迷の原因は(銀行の)「貸し渋り」ではなく、資金を必要としているはずの企業側の需要が不況を背景に低迷しているというものでした。確かに、例えば、資金を借り入れて設備投資して新商品を発売しても、不況によって売上げが伸びないと企業が思えば投資を控えることは十分ありそうな話です。このように貸出の低迷(=借入の低迷)が、銀行側(供給側)の要因によって引き起こされたのか、企業側(需要側)の要因によって引き起こされたのかは慎重に見極める必要があります。なぜなら、どちらの要因かによって、貸出の低迷から脱却するために取るべき政策(処方箋)が変わってくると考えられるからです。
 次に、借入需要の低迷による借入の減少(=貸出の減少)は、これまで学んだ需要曲線と供給曲線を用いると前回の図15のようになることを学びました。すなわち、市場均衡A点の状況から市場均衡C点の状況となります。このときにも、貸出量はから***へ減少しています(横軸に注目)。ただし、市場均衡の金利は、rからr***へ減少している点に注意する必要があります(縦軸に注目)。つまり、借入需要の低迷の場合には、金利の動き方が「貸し渋り」の時とは異なるということです。ここで少し注意して欲しいのは、分析上描いた図14、図15の市場均衡の状況は実際には簡単に把握できないという点です。具体的にいうと、B点なのか、あるいはC点なのかは、実際に観察可能な貸出額や金利を用いて判断する以外にはないということです。特に今回の貸出量については、B点にしても、C点にしてもいずれも貸出量が減少するという意味で区別できません。
 前回の議論のポイントは、この金利の動き方が異なるからこそ、実際に深刻な問題であった貸出の低迷が、「貸し渋り」によるのか借入需要の低迷によるのかを識別できるという点でした。そして、金利の動向が低迷していることを理由に、貸出の低迷の原因は借入需要の低迷であるという(暫定的な)結論を下したところまで勉強しました。

議論の吟味の必要性
 以上、これまで紹介した内容をきちんと理解することはとても重要です。しかし、往々にしてここでの「理解」は、「覚える」あるいは「記憶する」と捉えられることが多いように思われます。もう少し具体的に言うと、例えば、皆さんが「貸し渋り」問題とは何ですかと問われると、上記の内容を全部覚えて全く同じように再現できることが「理解」であると思われるのではないでしょうか。しかし、このような解釈は「理解する」ということの誤解であるといっても過言ではありません。
 今回の本題はまさにこの点の誤解を解消することにあります。言い方を変えれば、「このような誤解をしないような批判的態度をもって学び、理解することが大学での勉強である!」となります。大学での勉強の醍醐味でもあり、ある意味やっかいな点でもありますが、大学での勉強内容は、多くの場合、必ずしも「正解」が決まっているとは限りません。それどころか、そもそも「正解」は存在しないかも知れません。しかし、そうだからこそ、一つ一つを論理的に吟味していく姿勢が今まで以上に重要になってきます。以下では、この点を明らかにすべく、前回説明した金融問題の議論について批判的に吟味しますので、上記の意図を是非くみ取ってください。
 前回の議論の内容が代表的な「貸し渋り」現象の説明と分析であることは間違いありません。しかし、このような理解が妥当なものか否かは必ずしも明らかではありません。なぜなら前回で紹介した分析にはいくつもの暗黙の前提があり、その前提が現実に成立するか否かは論証が必要だからです。つまり、この前提が間違っていると議論の説得力は一気に崩壊する危険性があるということです。言い換えると、もし「受け身の姿勢」で前回の内容を鵜呑みにするならば、とんでもない間違いを犯す可能性があるということです。したがって、前回の議論の(暗黙の)前提を批判的に吟味した上で「納得する」、あるいは「説得される」ことがとても重要なのです。
 前回までの内容が「理解できた」と思った皆さん、前回の議論に潜む暗黙の前提を挙げることができますか? また、その前提は妥当なものであるとした上で理解していますか?
 これから前回の議論のいくつかの暗黙の前提を指摘し、その問題点を説明していきますので、皆さん自身も各々の内容を吟味してみてください。

 「貸し渋り」の定義は妥当?
 まず第1の問題点は、「貸し渋り」の経済学上での定義自体について吟味する必要があることです。今回も復習したように、「貸し渋り」現象が資金の供給曲線の左上方へのシフトとして定義することが妥当か否かは実はとても重要な論点です。「貸し渋り」という表現を用いながら、貸し渋りではないことを論じてしまう危険性があるからです。「貸し渋り」という言葉には、資金を借り入れる企業が借りたくても借りることができないというニュアンスが含まれていますよね。もしそうだとすると、この「貸し渋り」の定義は妥当ではありません。なぜなら、市場均衡であるということは、その水準の価格(ここでは金利)の下では、需要量=供給量となっているからです。つまり、資金を借りたいと考えている企業は必要資金を過不足なく銀行から借り入れることができる状況に他ならないのです。したがって、「貸し渋り」の定義について、その妥当性の吟味が必要であることを少なくとも示唆しています。「定義」を大切にすることは第3回でお話した通りですが、「定義」の妥当性の吟味が、特に社会科学については重要なのです。

市場均衡が常に成立している?
 第2の問題点は、前回の議論は経済の現状を市場均衡の状態にあることを前提にしている点です。第3回で触れたように、市場均衡の状態が成立するには価格(ここでは金利)の調整メカニズムが円滑に機能することが必要です。しかし、今回の連載では触れることが出来ませんが、お金の貸借の問題などではその調整メカニズムが機能しない可能性があることが知られています(市場の失敗といいます)。もしそうだとすると、現実の状況が、経済学でいうところの市場均衡の状態にないことを意味します。実際、「貸し渋り」の定義が、前述の「資金を借り入れる企業が借りたくても借りることができない」ならば、資金の需要量が資金の供給量よりも多い状況にある可能性を示唆しています。言い換えると、図16にあるように、金利(=価格)の調整メカニズムが働かず、市場均衡の金利よりも低い水準に金利がとどまっていると考えられるのです。したがって、経済の現状を市場均衡の状態にあるのか否かに対する認識を明確にした上で論じる必要があると言えるでしょう。

図16 金利の調整メカニズムが働かない状況
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需要曲線・供給曲線の同時シフトの可能性は?
 そして第3の問題点は、前回の議論では、「貸し渋り」か借入需要の低迷かを判断する上でどちらか一方しか生じないことを暗黙の前提にしている点です。言い換えると、供給曲線と需要曲線の両方がシフトする可能性を無視していました。もしこの前提が崩れているとすると、借入需要の低迷であるという前回の結論は間違いかもしれません。例えば、図17を見てください。この図では、供給曲線のシフトと需要曲線のシフトの両方が生じています。つまり、前回でいうところの「貸し渋り」も発生していると同時に、借入需要の低迷も発生している状況です。そして、図17の状況では、シフト後の市場均衡B点の方がシフト以前の市場均衡A点よりも(若干ですが)金利が低下しています(rからr**への低下)。したがって、このような状況が実際に生じていたとすると、「貸し渋り」vs.借入需要の低迷、という問題設定自体が間違っていたことを意味し、借入需要の低迷のみならず、「貸し渋り」問題も発生していたと理解するのが正しいということになります。

図17 「貸し渋り」と借り入れ需要の低迷の同時発生
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 このように、前回の簡単な需要曲線、供給曲線を用いた分析であっても、これだけの論点を少なくとも指摘することができます。このような論点を慎重に検討してはじめて本当の理解となるのです。そして、一般に、取扱う問題が複雑になるほど、検討すべき論点は増えていくと考えられます。しかし、そうであるからこそ、分析対象に関するそれぞれの用語の「定義は何か」、またその「定義は妥当か」を吟味するとともに、議論の背後にある前提や論理の筋道を一つ一つ丁寧に論証して納得することがとても重要なのです。こうした批判的な態度を身に付けることが大学での勉強の最大の意義であると言えます。そして、皆さん自身が、社会を見る客観的な、そして独自の眼を養うことが大学では要求されるのです。
 最終回は、今回扱えなかった大学で学ぶ経済学の内容について触れながら、これまでの連載の総まとめにしたいと思います。また、経済学に興味を持たれた方に参考文献の紹介をしていきたいと思います。
(最終回は5月13日更新予定)

金融問題を通じて見る日本経済(その2)

 今回は、前回の準備を踏まえて、「貸し渋り」問題を需要曲線と供給曲線の概念を用いて表現し、具体的に分析をしてみることにします。まずは簡単な復習から始めましょう。

前回の復習
 「貸し渋り」問題とは、前回述べたように、銀行と企業の間で資金の貸借が円滑に進まなくなった問題をいいます。したがって、この問題の当事者は図12にあるように①資金を需要する企業と②資金を供給する銀行です。この図は前回勉強した「金融」の概念そのものですね。ただし、資金の貸し手は、家計ではなく銀行である点に注意しましょう(間接金融のルートの問題を取り扱っているからです。前回の図10を参照しましょう)。

図12 「貸し渋り」問題の当事者
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 図13は前回の図11と基本的に同じものです。縦軸には「資金の貸借」の価格である金利rを、横軸には資金量L(具体的には、需要曲線であれば借入量、供給曲線であれば貸出量のことです)をとります。前回述べたように、金利が高くなるほど、資金を借り入れる企業の返済負担は増加するので借入需要は低下し、需要曲線は右下がりとなります。同様に、資金を供給する銀行は、金利が高いほど収益が増加すると期待でき、たくさんの資金を貸し出すと考えられるので供給曲線は右上がりになります。その結果、資金の貸借の場である貸出市場(企業にとっては借入市場と呼ぶ方が適切かもしれません)は、通常の財・サービスと全く同様に右下がりの需要曲線と、右上がりの供給曲線を用いて表現することができます。したがって、価格の調整メカニズム(今回の場合は金利ですね)がきちんと機能すれば、資金の需要量と供給量が一致して市場均衡であるA点(r*L*)が実現します(価格の調整メカニズムの重要性については前々回の後半を参照しましょう!)。

図13 貸出市場の市場均衡
Zu13_edited 「貸し渋り」現象の表現
 さて、市場均衡であるA点(r*L*)の状態を基準として、「貸し渋り」問題は、図14の資金の供給曲線の左上方へのシフトとして理解されるのが通常です。言い換えると、資金の供給者である銀行はどの金利水準であってもシフト前と比較すると資金の供給量を減少させる状況を指します(自分で金利水準を縦軸から一つ選んで、その金利水準の下で資金の供給量がシフト後には減少していることを確認して下さい)。例えば、銀行が企業に貸していた資金が大量に返済されずに不良債権となっていると、銀行が貸出を行うことに対して(以前より)慎重になることは容易に予想出来ます。したがって、もしそれが事実であれば、「貸し渋り」をこのような供給曲線のシフトとして理解することは自然なことです。したがって、図14にあるように、市場均衡はA点(r*L*)からB点(r**L**)に変更になります(供給曲線のシフトの復習が必要と感じた人は前々回の内容を参照しましょう!)。この結果、図14から明らかなように、資金の貸出量(=借入量)はL*からL**に減少することになります。つまり、「貸し渋り」問題は、資金の供給曲線の左上方へのシフトの結果として、貸出量が減少することとして理解されるのです。

図14 「貸し渋り」による貸出低迷
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 以上で、経済学の基本的な概念である需要曲線と供給曲線を用いて、「貸し渋り」現象を表現しました。ここまで理解はできましたか? これまで準備してきた概念や用語が繰り返し使われていますが、新しい概念は用いていないはず(本当です!?)なので、理解があやふやな点は前回までの該当個所を繰り返し見てみましょう。前にも述べましたが、理解を急ぐ必要はありません。納得できるまで繰り返しじっくりと味読してください。
 さて、ここまで見てきたことは、「はじめに」で述べた医療にたとえると、日本経済の金融問題(「貸し渋り」問題)という人体の腹痛問題を、需要曲線、供給曲線というレントゲン装置を用いて映し出した状況といえます。したがって、このレントゲン画像を入手したことで診断を行い、具体的な原因や処方箋について考えることができるのと同様に、「貸し渋り」という経済現象を経済学の基本概念を使って表現したことで具体的に「貸し渋り」問題の分析を行うことができます。

「貸し渋り」問題の分析
 では早速、「貸し渋り」問題の分析をはじめましょう。実は、「貸し渋り」問題で最も重要な論点は、そもそも本当に「貸し渋り」現象が生じたのかということです。前回でも、今回でも「貸し渋り」問題が発生したことはあたかも前提であるかのように述べて来ましたが、この点についての見解にはつい最近まで様々なものがありました(今ではだいぶ見解は一致していると思われます。いろいろな文献を見てみてください)。このことは銀行で働く人のことを想像すると、ある意味、当たり前かもしれません。なぜなら、銀行の立場に立てば、確かに不況を反映して積極的に資金を貸すことが出来ない面があることは否めないとしても、「貸し渋り」を行っているとは認めないでしょう(「ウチの銀行は貸し渋っています」とは言わないでしょう)。むしろ、不況によって企業の借入需要が減少していることの方が貸出低迷の根本的な原因だというかも知れません。この場合には、図15にあるように、企業の借り入れ需要の低迷は需要曲線の左下方へのシフトとして表現されます。つまり、図14の様な描写は間違いで、図15のように市場均衡のC点(r***L***)への変更による貸出の減少が正しいという主張です。実際、このような見解も数多く見受けられました。一方、企業の立場に立てば、このような見解を認めるとは到底思われません。「貸し渋り」という表現通り、借り入れたくても資金を貸してくれないことこそが貸出低迷につながっているというでしょう。

図15 借入需要の減少による貸出の低迷
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 このように、それぞれの当事者の立場に立てば、どちらの見解もそれなりの説得力を持っているように見えます。したがって、当事者の立場から一定の「距離」を置いて公正な立場で「貸し渋り」現象が生じたのか否かを判断する(診断する)必要があるのです。
 このような二つの相対立する見解のどちらにより説得力があるかは、実は、図14と図15という二つの図を見比べることで容易に判断できます。それは、いずれの図においても、貸出の低迷が生じていることに変わりはありませんが、「資金の貸借」の価格である金利の動き方が同じではないからです。つまり、図14の状況であれば金利の上昇(r*からr**への上昇)が発生し、図15の状況であれば金利の減少(r*からr***への減少)が発生するという相反する金利の動きが予想されます。言い換えれば、「貸し渋り」現象が生じたと考えられる時期(具体的には、多くの金融機関が倒産した1990年代の後半です)の金利が低下しているのか上昇しているのかを見ることで、どちらの議論により説得力があるかを判断できることになります。このように考えると、1990年代の後半は金利が減少していたことは統計資料から明らかなので、「貸し渋り」ではなく借り入れ需要の低迷を主張する議論の方に軍配が上がることになります。これがここまでの結論です(正確には「暫定的」結論です。この意味は次回に説明します)。
 どうでしょう。経済学の基本概念を用いることで経済現象の理解が深まることが実感できますか? 難しい点もあるかと思いますが、「経済学の基本概念を用いると理解が深まりそうだな」という雰囲気を感じてもらえればこの連載では十分です。人間が具体的に分析を行うために現象をそのままの形で理解することは複雑すぎるので、需要曲線・供給曲線といった概念を用いて経済現象を単純化して理解する手続きがどうしても必要なのです。そして、そういう思考訓練を行うことが大学での勉強の特徴でもあるのです。
 さて、次回は、今回の議論の陰に潜む問題点を掘り下げることにしたいと思います。言い換えると、今回の分析をきちんと理解することは大事ですが、今回の分析に対しても、一定の「距離」を置いて冷静に受け止める議論を鵜呑みにしない態度(批判的態度)が必要であることを述べたいと思います。
(次回は3月13日更新予定)

金融問題を通じて見る日本経済(その1)

 前回と前々回の2回を使って経済学の最も基本的な概念である需要曲線と供給曲線を紹介しました。少し抽象的な話が続いてしまいましたが、これからは現実の日本経済に目を向けて、これまで学んだ需要曲線と供給曲線を実際に使って分析してみることにしましょう。
 「はじめに」で少し触れたように、10年以上に渡って日本経済は不況に喘ぎ、芳しいものではありませんでした。実際、「平成不況」あるいは「失われた10年」といった表現が頻繁に使用されました。日本経済の長引く不況が、失業問題など私たちの生活に深刻な問題をもたらすことを考えると、その不況の実体とその原因を解明することは極めて重要な課題といえます。今回の連載はこの不況問題を包括的に考察することが目的ではないので深入りはしませんが、不況の原因の少なくとも一つとして、金融問題があったことは疑いの余地がない事実だと思います。事実、バブル経済の崩壊や不良債権問題などを背景に、多くの銀行、証券会社、保険会社が破綻しました。1997年にはじまる山一證券の破綻や日本長期信用銀行の破綻などは、大企業の相次ぐ倒産の象徴的な出来事です。したがって、金融問題を考察することは、深刻な不況をもたらした日本経済を読み解く一つの鍵を握っていると言えるでしょう。
 そこで、今回と次回を使って、金融問題を通じて日本経済の分析を少し行ってみたいと思います。具体的には、今回で金融の問題を分析するための準備を行い、次回でこれまで学んだ経済学の需要曲線と供給曲線という基本的な概念を実際に用いて具体的に分析する予定です。このネライは、①私たちを取り巻く経済問題に対して少し目を向け関心を持ってもらうこと、②これまで学んだ経済学の基本的な概念を実際に用いることで、経済問題をよりよく分析・理解できることを体感すること、の2つです。

金融とは?
 既に金融問題という表現を用いて「金融」という言葉を使っていますが、「金融」とは何を意味するのでしょうか? 遠回りのようですが、この点を確認することから始めましょう。脇道にそれますが、大学での勉強は、「先を急がない」、「結論を急がない」ことがその1つの特徴であり、また重要なポイントでもあります。深くじっくりと考察するためにはこうした姿勢がどうしても必要なのです。
 さて、話を戻しましょう。金融とは、一言でいうと、資金の余剰主体(黒字主体)から資金の不足主体(赤字主体)に資金を融通することです。このことを、図9を使って確認しておきましょう。左側に資金の余剰主体、すなわち貸し手から、右側の資金の不足主体、すなわち借り手に資金が移転される様子を図示しています。これに対して、借り手は資金を受け取る代わりに借入証書などを貸し手に渡す様子が下側に図示されています。そして、最終的には資金の返済が約定通りなされることで貸借関係が終了します。

図9 「金融」の概念図

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 この金融の概念を日本経済の状況に当てはめてみると、日本の経済活動の中で、貸し手になる経済主体と借り手になる経済主体はそれぞれ誰でしょうか?(基本概念と現実との対応関係をその都度意識することは経済学を学ぶ上でとても大切です。)それは代表的な貸し手として前々回の図1で示した家計(部門)を、代表的な借り手として企業(部門)を挙げることができます。ここで「基本的」という表現を用いたのは、1990年代後半から少し異なる状況が生じ始めているからです(この点については次回以降で触れます)。しかし、以下では特に断らない限りこの基本的な関係を前提とします。そして、家計のことを最終的貸し手、企業のことを最終的な借り手と言います。つまり、金融とは、最終的貸し手である家計から最終的借り手である企業に資金が移転する仕組みのことであると理解できます。

直接金融と間接金融
 続いて、この金融のルートには大きく2つあることを紹介します。まず1つ目は、最終的な借り手である企業が株式や社債などの本源的証券を発行し、最終的貸し手である家計がこれを直接購入することで資金が流れるルートです。このルートは直接金融と言われます。直接金融については図10の上側にその様子が描かれています。一方、家計と企業の間に銀行や保険会社などの金融仲介機関が仲介し、これを経由して資金が流れるルートを間接金融と言います。図10の下側を使って具体的に間接金融のルートで資金が流れる様子を確認しましょう。まず、家計から金融仲介機関に資金が流れています。これは家計が金融仲介機関の発行する間接証券(預金証書・保険証書など)を購入することで資金が流れます。例えば、私たちが銀行にいって預金をすることがこのプロセスに該当します。続いて、家計などから調達した資金を用いて金融仲介機関は、借入証書などの本源的証券を購入します。例えば、銀行が企業に融資する業務がこのプロセスに該当します。

図10 直接金融と間接金融

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日本の不況と不良債権問題
 このように金融のルート別から日本経済を展望すると、間接金融優位の状態がこれまでずっと続いてきました。つまり、日本の多くの企業は銀行に代表される金融仲介機関からの資金の借入を通じて活発な生産活動を行い、日本経済を牽引してきました。メインバンク関係という銀行と企業の密接な二人三脚関係が日本の高度成長に寄与したという見解も広く知られています。つまり、メインバンクである銀行が貸出先企業の監視(モニター)をしたり、時には救済を行ったりして、効率的な資金の移転を実現していたという評価です。
 しかし、不良債権問題という言葉に象徴されるように、1990年代に入るとメインバンクに対する信頼は揺らぎ始めます。不良債権問題とは、金融仲介機関から借り入れた資金を多くの企業が返済できなくなった状態を指します。つまり、図10における間接金融のルートの企業と金融仲介機関の資金の貸借関係に問題が発生した状況です。金融はしばしば血流に例えられますが、実際、日本経済にとって大動脈であった間接金融のルートが円滑に機能しなくなったということは日本経済に深刻な打撃を与えました。さらに悪いことに、この不良債権問題によって体力の低下した(資金余力の低下した)銀行の企業に対する貸出が低迷するという問題が追い打ちを加えました。いわゆる「貸し渋り」問題として知られる現象です。
 そこで、この「貸し渋り」問題に対して、前回までに学んだ需要曲線と供給曲線の概念を応用して分析をしてみることにします。具体的にこれらの概念を使ってみることでその分析の有効性・重要性を味わってもらうと同時に、これらの分析に対してでさえ、一定の「距離」を置いて冷静に受け止める批判的態度が必要であることを併せて論じたいと思います。
 さて、「貸し渋り」問題は、先ほどの図10の下側にある間接金融のルートの銀行と企業の間で資金の貸借が円滑に進まなくなった問題であると言えます。この貸借の「場」を(銀行の企業に対する)貸出市場と呼ぶことにすると、貸出市場の需要者は資金の借り入れというサービスを需要する企業です。これに対して、貸出市場の供給者は、企業が必要とする資金を貸し出すというサービスを供給する銀行ということになります。ここで注意して欲しい点は、この資金の借り入れサービスを受けることの対価、すなわち価格は金利であるという点です。金利(r)が高くなると、資金を借り入れる企業の返済負担は増加するので借入需要は低下し、逆に金利が低くなると企業の資金需要は増加すると考えられます。したがって、貸出市場における需要曲線(L=LD(r))は前回で学んだ通り、右下がりの需要曲線になります。同様に、貸出市場における供給曲線(L=LS(r))は、資金を貸し出す銀行は金利が高いほど収益が増加するので多くを貸し出すと考えられるので、右上がりの供給曲線になります。つまり、貸出市場の需要曲線と供給曲線は、縦軸に価格である金利を、横軸に資金量(企業にとっては借入量を、銀行にとっては貸出量)を取ると、図11にあるように前回と同様の図が描けることになります。
 次回は、この図11に基づいて、「貸し渋り」問題について考察を加えて行くことにしたいと思います。そして、「貸し渋り」問題に対する理解が、前回までに学んだ概念によってより明確に分析できることを実感してもらいたいと思います。

 p.s.他のレクレの連載を行っている複数の先生は、毎回参考文献を挙げているようです。経済の小部屋では最終回にまとめて紹介したいと思っていますのご了承ください。

図11 貸出市場の需要曲線・供給曲線

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(次回は2006年1月13日更新予定)

経済学の基本的な用語について
-需要曲線と供給曲線-その(2)

 前回は、経済学の様々な専門用語と基礎的な分析装置である需要曲線、供給曲線について紹介しました。今回ももう少しだけこの話を続けます。今回でこの連載で使う概念の大半は終わらせるつもりでいますので、ちょっとだけ我慢(?)してください。
 ところで、大学での勉強では、様々な専門用語がいきなり出てきて「・・・の定義は、・・・である」というように堅苦しく(?)述べられたり、説明されたりすることが増えると思います。実際、レクレの他の分野でも回を重ねるごとに、専門用語や抽象的な概念が増えてきていますね!
 でも、これはそれぞれの分野の敷居を高めるためでも、小難しくするためでもなく、むしろ逆である(少なくとも書いている本人はそう思って書いている)ということを知っておいてください。それは、定義をきちんと述べることで、曖昧さを減らし、使用している用語に対して筆者がどういう意味を込めて使っているかが明確になるからです。
 厳密な議論を展開する上では、定義にこだわる姿勢はとても重要です。この点は数学、物理学など自然科学の分野では比較的当然のことであるように受け止められる一方で、今回レクレの連載にある社会科学の分野では必ずしも定着していないように思われます。その理由の1つには、分析対象が私たちの日常生活の中で何かしらの接点を持つことに起因しているのかもしれません。例えば、経済学では「貨幣とは何か?」という問いはとても難しく、そして重要な問題ですが、日常生活では貨幣について特別な意識をすることもなく使っています。日常生活で「貨幣」のことを定義して、その機能や重要性を論じていては欲しいものも気軽に買えません!
 しかし、私たちの経済活動を考察する上では、「貨幣」、すなわちカネを無視しては語れないことも多いのです。例えば、「カネは誰が作っていますか?」、「カネが欲しいのはなぜですか?」、「紙幣は紙でできているのにパソコンと交換できるのはなぜですか?」、「カネと不景気はどんな関係にありますか?」、「みんなにたくさんのカネを配れば第1回目で述べた貧困はなくなりますか?」など、比較的やさしい問題もあれば、とても難しい問題もあることがわかるでしょう。実際、これらの多くの問題は「貨幣」をきちんと定義することなくして理解することは極めて困難です。
 少し脇道に逸れていますが、ここで言いたかったことは、自然科学、社会科学といった分野を問わず、大学の勉強は定義を大切にすることが出発点になるということです。そして、最初は戸惑うかもしれませんが、少し訓練を積むと慣れてきて、定義がきちんとされていることは深く物事を考える上ではとても便利であり、かつとても重要であることに気付きます。そうなればしめたもので、大学での勉強のコツを1つ身に付けたといって良いでしょう。どん欲にいろいろな言葉を駆使して興味のある分野をトコトン学べば良いのですから。
 さて、以上のように専門用語をたくさん紹介することの言い訳(?)をしたところで、今回の本題に入りましょう。

需要曲線のシフトと供給曲線のシフト
 前回は需要曲線を紹介しました。復習になりますが、需要曲線は価格と需要量の関係を示す曲線のことです。例えば、前回の図2ではパソコンの価格が10万円であれば、その価格に対するパソコンの需要量は1万台であったことを思い出してください。このように、需要曲線が与えられた下では、価格に対してどのくらいの需要量であるかが一目でわかりとても便利です。しかし、需要曲線がいつも同じ位置に留まるとは限らない点に注意する必要があります。これが今回の前半のテーマです。例えば、私たち消費者の所得の大幅な削減が行われたとしてみましょう。仮に所得の削減前であればパソコンを買おうと考えていた人が、所得の削減後には買うのを止めてしまうかもしれません。
 このとき需要曲線はどうなるでしょうか?
 所得の削減のように需要量全般を減少させる影響は、需要曲線が図5のように左下方にシフトすることで一般に表現されます。具体的に見てみましょう。図5によると、例えば、パソコンの価格が10万円のときには、所得の削減前であればパソコンの需要量は1万台であったものが、所得の削減後はパソコンの需要量は0台になってしまうことを表しています(少し極端ですが、このくらい極端にすると議論が明確になることがしばしばあります)。同様に価格が5万円のときには、所得の削減前であれば需要量が2万台だったものが、所得の削減後には1万台に減少することを表しています。このように、所得の削減など需要量全般を減少させる影響は、需要曲線の位置の変更によって表現される点に注目してください。
 では、所得が大幅に増えることで需要を増加させる影響はどう表現されますか?このときには需要曲線が右上方にシフトすると考えられます(大丈夫ですか?)。自分で作図して確認してみてください。このように自分で能動的に作図することによって、経済学の真の力が身に付きますよ!

図5 所得の削減による需要曲線のシフト
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 需要曲線のシフトについて一点だけ注意をしておきましょう。しばしば、前回学んだ(与えられた右下がりの需要曲線上で)「価格が上昇(低下)することで需要量が減少(増加)する」ことと、今回学んだ「需要曲線自体が左下方に(右上方に)シフトすることで需要量が減少(増加)する」ことを混同しがちです。(与えられた)需要曲線上の議論と需要曲線自体がシフトする議論を区別することを心がけるとよいと思います。
 さて、需要曲線と同様に供給曲線もシフトすることが考えられます。例えば、前回の図4のパソコンの供給曲線の状況から、新しい生産技術の導入によってより費用を安くパソコンを生産できるようになったとしましょう。このときには、パソコンの価格水準がどの水準であっても以前よりも費用を抑制できる分だけ儲かるので、企業は以前より多くのパソコンを供給しようとすると考えられます。すなわち、パソコンの供給曲線は図6にあるように、右下方へシフトします。

図6 生産技術の向上による供給曲線のシフト
keizaizu6  どのような時に需要曲線、供給曲線のシフトが生じるのか、言い換えると、需要曲線、供給曲線それぞれのシフト要因を分析することは経済学の重要な課題となります。例えば、パソコン市場を例に需要曲線、供給曲線がシフトする要因とそのシフトの方向について考えてみてください。
 今回の連載ではシフト要因について具体的な議論はしませんが、次回以降でいくつか具体的に触れ、その重要性について次第に理解してもらえるようにします。是非その後に経済学のテキストでより一般的な議論を学んで下さい。

市場均衡とは?
 以上で需要曲線と供給曲線という経済学の基本的な分析装置の準備が整ったので、この2つの曲線の交点の議論に移ることができます。
 図7は、前回の図2と図4を同じ平面上で同時に描いた図です。縦軸は価格、横軸は数量という意味で同一平面に書ける点に注意してください。横軸は右下がりの需要曲線に対しては需要量を、右上がりの供給曲線に対しては供給量をとっています。ここで、需要曲線と供給曲線が交わるE点に注目してください。交点Eでは、7万5,000円のとき、需要量と供給量は1万5,000台で等しくなっています。このように、市場の需要量と供給量がちょうど等しくなる価格と数量の組み合わせのことを市場均衡と呼びます。すなわち、図7では、E点(7万5,000円、1万5,000台の組み合わせ)が市場均衡となります。
 市場均衡では、その定義から、パソコンを欲しいと思っている消費者の需要量とパソコンを販売したいと思っている企業の供給量が過不足なく一致しています。もう少しかみ砕くと、買いたいと思っている人はみんな欲しいパソコンの台数を購入できるし、売りたいと思っている企業は売りたいパソコンの台数をちょうど売り尽くすことができる状態です。したがって、E点は望ましい状態であるように思われます。実際、このことが前回学んだ経済学の評価基準で見ても望ましい(パレート最適である)ということをミクロ経済学で学びます。したがって、経済学ではパレート最適である市場均衡(E点)にとても興味があるわけです。ただし、このことは現実の経済状態(例えば、今の日本のパソコン市場の状態)が常にE点であると主張している訳ではない点には注意してください。実際、市場均衡の成立には多くの前提条件があり、これらの点について現実的妥当性を批判的に吟味することが大学で学ぶ経済学の重要な課題の一つです。

図7 パソコン市場の市場均衡
keizaizu7  さて、経済学では市場均衡をはじめとして、様々な所で「均衡」という言葉が多用されます。均衡たる所以は、均衡の状態から外れてしまっても、いずれ均衡の状態に必然的に戻ってくるという意味です。「釣り合っている」状態のことを言います。実際、市場均衡がそうなっていることを次に確認してみましょう。
 そのことは、市場均衡でない水準に現実の価格設定がなされるとどうなるかを考察することで容易に理解できます。図8を使って具体的に見てみましょう。今、仮にパソコンの価格が市場均衡の7万5,000円より高い8万円だとします。このとき、パソコンの需要量は需要曲線で決まるので、図8の需要曲線に注目することで1万4,000台であることが分かります(前回の図2の読み方を思い出してください)。同様に、供給量は図8の供給曲線に注目することで1万6,000台です(前回の図4の読み方を思い出してください)。したがって、供給量の方が需要量より多いことになります。このような状態を超過供給といいます。一般に、超過供給はやがて価格が低下することによって調整されます。なぜなら、パソコンを売りたいと思っている企業にとっては売れ残りを意味しますので価格を低下させる圧力が加わると考えられるからです。このようなプロセスは需要量と供給量が等しくなる(市場均衡の価格である)7万5,000円になるまで続くと考えられます。市場均衡の価格水準まで価格が低下すれば、前述の通り、売れ残ることがなくなるからです。

図8 需要量と供給量の調整プロセス
keizaizu8  同様のことは価格が市場均衡より低い時にも生じます。ただし、今度は需要量が供給量よりも多くなります(図8に自分で補助線を加えて確認してください)。このような状態を今度は超過需要と言います。このとき企業は売ろうと計画している以上に需要があるので価格を上昇させることで調整されます。このようなプロセスはやはり需要量と供給量とが等しくなる(市場均衡の価格水準)まで続くと考えられます。以上の議論によって、市場均衡は、確かに「均衡」という言葉が使われている理由があることが分かってもらえるかと思います。
 以上のプロセスは、価格が低下したり、上昇したりすることで需要量と供給量のギャップが調整されている点に注目してください。この意味で、価格の調整メカニズムの機能は市場取引の根幹をなすことが分かるでしょう。価格の調整メカニズムが機能しないことは、いつまでも需要量と供給量のギャップが調整されないことを意味するからです。
 価格の調整メカニズムが円滑に機能するならば、市場均衡の価格水準と現実の価格水準が一致しなくても、これまで考察したプロセスによって市場均衡に戻ってきます。このことは、私たちの立場から述べると、「経済状態のことを特別気にせず、自分が欲しいと思う財・サービスの価格を参考にして購入するか否かを決定していれば、価格の調整メカニズムを通じて社会的に望ましい市場均衡が達成される」ということを意味します。この価格の調整メカニズムのことを、かの有名なアダム=スミスは「神の見えざる手」といったのです。
 次回は、日本経済の問題、具体的には金融問題に対して、前回と今回で学んだ需要曲線と供給曲線を使うための入門的な話をする予定です。

(次回は11月13日更新予定)

経済学の基本的な用語について
-需要曲線と供給曲線-

 今回はまず前回の簡単な補足から始めます。その後、市場メカニズムの基本的な仕組みを理解するための言葉の準備をします。今回は経済学の基本的な専門用語がたくさん出てきます。少し抽象的に見えるかも知れませんが、連載を重ねるうちに現実的なトピックとの対応関係がキチッと見えてきますので、言葉に慣れることを念頭に読んでください。

経済学の評価基準とアプローチ方法
―ミクロとマクロの視点―

パレート効率性
 前回は、稀少資源の有効活用が経済学の(究極の)目的であるということをお話ししましたが、どういう状況であれば有効活用されていることになるのか、言い換えると、効率的か否かについての判断基準を曖昧なままにしていました。経済学では、この点についてきちんと基準を定めて判断します。言い換えると、人によって基準が異なることで曖昧な議論に陥らないように、あらかじめ社会正義の価値基準を定めているのです。
 経済学ではパレート効率性という基準から判断します。パレート効率性とは、ある人にとってより望ましい状況を達成するためには、少なくとも他の誰かの状況を悪化させずにはいられない状態のことを言います。つまり、誰も傷つけずに改善する余地がない状況であれば、その状況は効率的だということです。平たく言えば、無駄のない状況を指します。一見ややこしい定義に見えますが、この定義によって曖昧さがなくなるとともに、非常に汎用性の高い概念となっています。頭の片隅に入れておきましょう。

経済学の2つのアプローチ
 さて、大学で学ぶ経済学の内容は分析対象(例えば、財政、金融、環境など)によって様々です。しかし、アプローチ方法は大きく分けて2つに集約されるので、この点をあらかじめ知っておくとよいと思います。すなわち、経済学のアプローチにはミクロ経済学マクロ経済学の2つがあります。ミクロ経済学は「ミクロ(微視的)」とあるように、経済全体から見ると小さな個々の経済主体(例えば、個人や企業)の視点から経済現象を分析します。これに対してマクロ経済学は「マクロ(巨視的)」とあるように、一国経済全体の視点から経済現象を分析します。例えば、マクロ経済学では、失業率やインフレーションといった集計した変数に関心があります。これら2つのアプローチは経済現象を分析する上でいずれも重要な役割を果たします。私たちは経済現象を理解するために、2つの視点(ミクロ経済学、マクロ経済学)を持つことで、1つのときよりも経済現象をよりよく理解することができるのです。

経済活動の見取り図
 以下ではまず、市場取引が私たちの経済活動の中でどのような役割を果たしているのかについてあらかじめ経済活動を単純化してその位置づけを把握しておきましょう。図1を見てください。一国の経済活動を単純化した概念図です。例えば、日本の経済活動を単純化した図であると思ってもらうとイメージがつきやすいと思います。zu-1
  この単純化された図1の下では、経済主体は私たち個人から構成される消費者(家計)と、財・サービスを生産する企業から構成されています。経済主体は政府など他にも存在しますが、ここでは議論を明快にするために単純化していると考えてください。
 さて、消費者は図1の上側にあるように、財・サービスを消費するために需要します。例えば、パソコンを購入するとします。これに対してパソコンを私たち家計に販売するために供給するのは企業です。企業が生産した財・サービスが取引される「場」のことを一般に生産物市場といいます。
 一方、消費者は企業から財・サービスを購入するだけではなく、多くの人が企業で働いています。言い換えると、消費者は自分の労働(力)を企業に提供しています。つまり、図1の下側にあるように消費者は労働(力)を供給しています。これに対して企業は生産活動のために労働力を消費者から需要しているのです。企業が生産活動に必要な投入資源(ヒト・モノ・カネ)を一般に生産要素と呼ぶことから、労働(力)などを取引する市場を生産要素市場といいます。
 以上からわかるように、私たち消費者は財・サービスを購入するのみならず、企業への労働(力)の提供も市場取引を通じて行っているです。このように経済活動を単純化することで経済活動の取引の「場」としての市場(しじょう)が重要な役割を果たしていることが浮き彫りになってきます。言い換えると、円滑な市場取引なくして経済活動は回らないということです。以下では、生産物市場を例にして市場取引の基本的な仕組みを理解するための準備をしましょう。具体的には、私たち消費者の財・サービスに対する需要を表現する需要曲線と、その財・サービスの供給を表現する供給曲線を紹介します。

需要曲線とは?
 図2は需要曲線(直線は曲線の一部です)を表しています。イメージがつきやすいようにパソコン市場を想定してもらうと良いでしょう。もちろん、様々な財・サービスについて同様に需要曲線を描くことができます。需要曲線とは、価格と需要量の関係を示す曲線のことです。図2にあるように、縦軸に価格(パソコンの価格)、横軸に数量(パソコンの需要量)がとってあります。どのような財についても経済学では一般的に縦軸に財・サービスの価格(を、横軸に財・サービスの需要量(を取る慣習になっています。zu-2
 さて、まずこの需要曲線が右下がりに描かれていることに注目してください。このことはパソコンの価格が低下(上昇)するほど、パソコンに対する需要量が増える(減る)ことを意味しています。「価格が低下すれば需要が増える」かどうかは必ずしも明らかではありません。この点については、大学のミクロ経済学という科目で詳しく考察を行うことになります。今回の連載では、それらの点は気にせず、パソコンの価格が低下すれば、パソコン市場全体で見ると、価格が低下する前よりも多くのパソコンを消費者は購入しようとすることの表現であると解釈しましょう。具体的に図2の需要曲線を見てみると、パソコンの価格が10万円の時には需要量が1万台、価格が5万円に下がると2万台に需要量が増えることを意味しています。このように需要曲線は、価格が与えられるとその価格に対してどのくらいの需要量があるかを示す関数であり、需要関数とも呼ばれます。すなわち、需要量Qは価格Pの関数D(・)によって決まり、
                                

Q=D(P)

と表現します。このことは、需要量Q(左辺)が価格P(右辺)を決めると関数D(・)を通じて一つの値に定まることを表しています。つまり、経済学では「価格(P)→需要量(Q)」と読みます。言い換えると、図2の縦軸から横軸に読むのです。この理由は、価格と需要量の間に因果関係があることを想定しているからです。経済学ではこのように因果関係をきちんと押さえて図を見ることが重要です。
 ここで一つ注意しましょう。これまで高校の数学で学んだ関数では、

y=f(x)

のグラフを図3にあるように描き、siki

というように横軸から縦軸に読んでいたと思います。しかし、先ほど述べたように、経済学では「需要量(Q)→価格(P)」ではなく、「価格(P)→需要量(Q)」と読みますので、図2では縦軸と横軸の関係がx軸とy軸の時とは逆になっています。zu-3
供給曲線とは?
 続いて供給曲線についても同様に見てみましょう。供給曲線とは、価格と供給量の関係を示す曲線のことです。図4にあるように、縦軸に価格(パソコンの価格)、横軸に数量(パソコンの供給量)がとってあります。需要曲線のときと同じく、一般的に縦軸に財・サービスの価格 を、横軸に財・サービスの供給量(Q)を取る慣習になっています。
 供給曲線は、需要曲線とは逆に右上がりに描かれています。このことはパソコンの価格が上昇(低下)するほど、パソコンに対する供給量が増える(減る)ことを意味しています。パソコンの価格が低下すれば、パソコン市場全体で見ると、価格が上昇する前よりも多くのパソコンを企業は販売しようとしていることの表現であると解釈できます。
具体的に図4を見てみると、パソコンの価格が5万円の時には供給量が1万台、価格が10万円にあがると2万台に供給量が増えることを意味しています。供給曲線は、需要曲線と同様に、価格が与えられるとその価格に対してどのくらいの供給量があるかを示す関数であり、供給関数とも呼ばれます。すなわち、供給量Qは価格Pの関数S(・)によって決まり、

Q=S(P)

と表現します。このことは、供給量Q(左辺)が価格P(右辺)を決めると関数S(・)を通じて一つの値に定まることを表しています。zu-4
 さて、以上で需要曲線と供給曲線という経済学の基本的な概念の準備が整いました。次回は、需要曲線と供給曲線のシフトの説明から始めて市場の均衡という点について説明をしていきます。次回で今回の連載に必要な基本的な用語の準備を終えます。そして、その次から、今まで学んだ分析装置を実際に使ってみることにしたいと思います。

経済学の目的は何だろう

この小部屋では、経済学について入門的な解説をします。
そして、経済学に親しみを持ち、経済問題について一人でも多くの方に関心を持ってもらうことにネライがあります。この連載を通じて経済学ではどのようなことを学ぶのかについて、少しでも具体的なイメージを抱いてもらえればと思います。

また、大学での勉強の特徴、言い換えると高校の勉強(ひょっとすると、日本で一般的に言われるところの「勉強」といっても過言ではないかもしれません)との違いについても、筆者が感じる点についてお話したいと思います。
むしろ、こちらの方が重要かもしれません。

この点については経済学に限定されることではなく、経済学を題材に大学での学問の特色を紹介している、と考えてください。
連載が進むにつれて少し欲張って踏み込んだ話をするかもしれませんが、あくまで全体を通じてのネライは前述の通りですので頭の片隅に入れておいてください。
繰り返しになりますが、この小部屋では、

経済学に親しみを持つ!

ことがネライです。
それはつまり、私たちにとって実は経済学がとても身近な問題であることを再認識することでもあります。

さて、「はじめに」で少し触れた日本経済に対する具体的な問題を考える前に、第1回目である今回はそもそも経済学とはどういう学問で、どのようなことを目的としているのかについて、あらかじめ全体像を把握することにしたいと思います。

多くの経済学のテキストでは、資源の希少性について紹介することから始まることが多いようです。
これは経済学の目的を理解する上で極めて重要な点となります。いきなり堅苦しい用語と思われるかもしれませんが、決して難しいことではありません。
まず、ここでいう資源とは、石油、石炭からはじまり、私たちが提供する労働力まで幅く指します
言い換えると、皆さんが購入する財・サービス(財の例:自動車、プラズマテレビなど サービスの例:床屋、旅行パックなど)を生産するために必要なものを指します。
一方、希少性については、私たちが欲しいと思う財・サービスの数量について考えるとわかります。私たちは生活の中で様々な欲求を持っていますが、この欲求はある意味、困りものです。
なぜならきっと満足することはない膨大な欲求だからです。
例えば、私のように大学の教員をしていると多くの本が教育や研究のために必要となります。もちろん、基本的に大学から研究費をもらって購入しているのですが、極端なことを言うならば自分が専門とする分野の本は全て欲しいです(もちろん、収納の問題は残りますが)。そうなると必要な購入資金は膨大になるでしょう。
皆さんはどうですか?
きっとたくさんの欲求があるはずです。例えば、
プラズマテレビが欲しい!
車が欲しい!
大きな家に住みたい!」
世界旅行に行きたい!
などたくさんの欲求があると思います。
このように人は人であるが故に、非常に多くの欲求を持ちながら日々の生活をしているといえます。
この点に実は大きな問題が潜んでいます。
各人の欲求は膨大であるが故に、地球上に存在する全ての人が満足をすることは不可能であるということです。なぜなら、全員の欲求を十分に満たすほどの資源(要は、ヒト、モノ、カネと思ってください)が地球上には存在しないからです。

私たちが欲しいと思う財・サービスは、基本的に企業が生産したものを購入することで入手します。しかし、その財・サービスはいくらでも生産できるのではなく、地球上に存在する資源の総量に制約を受けざるを得ません。
例えば、お城のような家に住みたいと地球上全ての人が思ったとしても、その人数分の家を建てる土地が地球上には存在しないことを想像すれば十分でしょう。
したがって、希少性とは、人類誰もが満足するほどの財・サービスを生産できるほど資源が存在しない、言い換えると資源には制約があることを指します
以上をまとめると、地球上に存在する資源の総量は、私たちが欲しい財・サービスを全て作るには到底足りないということです。
これを経済学では、少し専門的に資源の希少性 と言うのです。

私たちは生まれてから、当たり前ですが、ずっと地球で暮らしています。テレビや映画の世界では既に宇宙生活の世界は珍しくないですよね!? 
例えば、スターウォーズでは複数の惑星を行き来します。このようなことが近い将来実現できると、資源の希少性の問題は解消するかもしれません。
しかし残念ながら、現実には私たちが持つ想像力と現実のギャップは大きく、宇宙に行くことさえ簡単ではないようです。つまり、基本的に私たちは今後も地球上で生活をしていくことが(今のところ)前提となります。
「宇宙船地球号」という表現にあるように、地球号にずっとお世話になります。 このように考えると、希少であるならば資源をできるだけ上手に使おうというのは自然な発想だと思いませんか? 
そうです。
「希少な資源の有効活用」、これこそが経済学の目的といえます。
言い換えると、希少な資源をできるだけ上手に活用して、 私たちの生活をより豊かにする ことを目的としています。 そして、この目的を今では市場取引によって達成しようとしています。市場取引とは、価格をシグナルとして(参考にして)、売り手と買い手が取引をする社会的な仕組みのことです。
高校の社会科の時間に、需要曲線と供給曲線というのを聞いたことがある人がいるかもしれませんが、それはまさに市場取引、あるいはより一般的に市場メカニズムのことを指しています(この点については次回以降詳しく紹介します)。
このことから経済学とは、 市場メカニズムを理解する 学問であると言っても過言ではありません。

ここで注意して欲しい点が一つあります。
それは市場メカニズムの「勉強=暗記」ではないという点です。 中学・高校では「右下がりの曲線が需要曲線」、あるいはアダム=スミスといえば「神の見えざる手」などと覚えた記憶がありませんか?
市場取引が成立するために必要ないくつかの前提とその仕組みがどのように機能するのかを理解することが前述の勉強の意味であり、暗記と同じではありません。
大学での勉強の最も顕著な特徴ですが、経済学の目的である「資源の有効活用」に対して、市場取引が本当に効率的なのかどうかを、皆さん自身が批判的に検討・確認することを通じて十分に理解することが大切です。  
実際、これから何度も触れるように、いつでも市場取引が万能に機能するとは限りません。市場取引が「資源の有効活用」の観点から、例えば、

効率的な場合とそうでない場合があるのはなぜか?
効率的でないとすればどうすればよいのか?
効率的な場合にも何か新たな問題が発生するのか?

というような問題を論理的に考えることが求められます。これが大学で勉強する経済学です。 その意味で、大学の勉強は知識を吸収する受け身の姿勢のみならず、学ぶ内容について一つずつ吟味をしていく姿勢が要求されます。おそらくこの点こそが、大学が大学であるために最も重要な点(言い換えると、大学の存在意義)であると筆者は(密かに?)考えています。

さて話を戻すと、現在では市場メカニズムに基づく資本主義国が世界の大半を占めるようになりました。
これまで例えば、社会主義国のソ連が資本主義と対立構図で一大勢力を保持していましたが、歴史的事実が語るようにソ連の崩壊があったことを思い出してください。言い換えると、今のところ、市場メカニズムに勝る経済システムは見当たらないという事実がそこにあります。
私たちは生まれた時から、不満はあるかもしれませんが、食いぶちに困ることはよほどのことがない限り考えられれないので、経済の仕組みに対しての問題意識が希薄になりがちです。
しかし、何をどれだけ食べるかを各人がいわば勝手に決めていることを考えると、これだけの生活が送れること自体が実は不思議なことかもしれません。
したがって、市場メカニズムが効率的に機能するための条件について吟味することは、経済学の目的に照らして非常に重要な課題であると言えるでしょう。
一方、現代においてもなお貧困の問題に直面し、今日・明日の食べ物に困る人たちがまだまだ世界に多く存在することを忘れてはいけません。 この点について興味深い内容を最近テレビで見ました。
フジテレビ系列の『あいのり』という番組です。 皆さんはご存じですか?
恋愛を求める若者がラブワゴンに「あいのり」して世界を旅する番組で、ここ数ヶ月はアフリカを旅している模様が放送されています。あいのりメンバーはアフリカの近年のすさまじい近代化の姿の影に今なお存在する貧しい現実を次々に目の当たりにします。
日本で生まれ育ったあいのりメンバーは皆その貧富の差に衝撃を受けます。食べ物に困っている子供たちがたくさんいる映像が流れています。どうしてこんなにも貧富の差があるのでしょう?
この点について番組では興味深い内容を放送していました。
それは世界で生産される食料は実は地球上の全人口が食べるのには十分な量があるという事実です。食料不足ということを耳にすることがあると思いますが、世界全体を見渡せば、少なくとも飢えをしのぐだけの食料が十分存在していると言うのです。それなのになぜ目の前で飢えに苦しむ子供たちがいるのでしょうか?
その答えと密接に関係しますが、その生産された食料のかなりの割合を日本が購入しているという驚きの事実があります。しかも日本で購入された食料は私たちの口に入るだけではなく、その多くが家畜の餌として使用されているという衝撃的な内容です。
つまり、日本人は問題の当事者でもあるのです。

先ほど紹介したように、市場メカニズムは確かにすぐれた側面を持つようです。しかし、どうやら万能ではないということを、この事実は指し示しているようです。言い換えると、確かに、市場メカニズムによって経済に多くの富をもたらすという意味では効率的なのかもしれませんが、貧富の格差という副作用をもたらしるのも厳然とした事実です。
こうした問題も経済学の重要な課題であり、経済学ではこれを
分配の問題
といいます。

このように市場メカニズムの光と影を見極める目を養うことが経済学を学ぶことであり、その問題点を解消することでより豊かな社会を作りあげるヒントを得る、そんな崇高な目的を経済学は担っていると言えるのです。

次回は経済学の基本である需要曲線と供給曲線について具体的に考察を加え、日本の経済問題を具体的に考える準備をしたいと思います。

はじめに

 日本経済はこれまで10年以上にわたって景気が悪いと言われています。実際、多くの企業が倒産したり、失業率が上昇したりと暗い話の連続でした。もっともここ数年は、少し景気が良くなる傾向も見られるようです。このまま景気が回復して、明るい話題がどんどん出てくることを期待したいものです。

 ところで、そもそもこんなに長く景気が悪かったのは何が原因だったのでしょうか? 
 また、景気を良くするためにはどうすればよいのでしょうか?

 この連載では、こういった素朴な疑問について少し考えてみいと思います。

 日本経済を人の体にたとえるならば、「景気が悪い」ということは、どこか体の具合が悪いことと同じと考えてもよいでしょう。
 したがって、上記の疑問は、体の具合の悪くなった原因について診断し、それに対してどのような治療が望ましいのかを理解することに対応するのです。